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【劉封】劉備の息子達【劉禅・劉永】

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/16(木) 23:50:18 ID:Sjx15uCr0
劉備の息子達のネタならなんでも・・・
孫もOK!

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/16(木) 23:53:35 ID:Sjx15uCr0
自ら2をいただき!!

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 00:04:03 ID:noYmYyLJ0
趙雲が阿斗を救いだして、って話。
実は劉備は阿斗を捨てたかったんじゃないかな。

劉備の事だから、阿斗がガキの段階で、暗愚な人間って
判ったんだと思う。

趙雲も空気読めない香具師だな・・・





           などと適当に書いてみた。

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 00:04:52 ID:QztdyMPq0
どっちかっていうと三戦向きだな、このスレ

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 00:06:17 ID:SrOmvqvq0
オレ、昨日、チラシを捨てたら、
落ちましたよって、親切な人が拾ってくれたんだよ
まさか、捨てたと言えないから、礼を言ったけど

劉備はそんな心境だったのか

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 00:06:53 ID:Qhi3lh660
まあ、基本的には子供に冷たい父親だからね。
劉封も別の意味で処分されたと聞くし・・・

・・・とレスしてみる。

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 00:07:37 ID:w7XPfArC0
劉邦も子供を捨てようとしてなかったっけ?
劉備って劉邦を真似るように意識していたのかな?

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 00:09:54 ID:Qhi3lh660
多分、劉邦の遺伝子と思われ・・・

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 00:23:10 ID:QztdyMPq0
んじゃ光武帝はどうなるのよ?と
劉備は確実に劉邦を意識してたんだろう
曹操が光武帝を意識してたようにね

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 00:35:00 ID:Qhi3lh660
曹操は武帝か始皇帝ではないの?
性格的にピッタリな気が・・・

それにしても曹操は妻子に対して気配り上手。
劉備は妻子すら殆ど顧みなかった気が・・・

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 01:29:09 ID:QztdyMPq0
曹操があれだけ光武帝のマネしてるのに、武帝か始皇帝指向な訳がない

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 23:37:27 ID:/QShm4KC0
王朝末期まで真似しなくても・・・

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 23:58:06 ID:Qhi3lh660
曹操って太祖・武帝と呼ばれてるから、
どうしてもどこか武帝を意識してしまう。

劉備は昭烈帝と帝号はわかるが。諡号はわからない。
廟号っぽくいえば適当に先主と呼ぶしかない・・・

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 00:15:54 ID:tKJ8g8jp0
あぁ・・・
三國志を始めて読んでからかなり経つと言うのに
劉備の諡号が不明であることに始めて気が付いた。
ありがとう。

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 07:09:15 ID:kL4waV6g0
曹操と光武帝は全然イメージ重ならないなw
劉備は、劉邦の真似しようとしていたんだろうなあというのは伝わって来る。

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 12:20:31 ID:bOCbZZF90
昭烈皇帝が諡号なんだが。

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 12:27:30 ID:NC46XSUW0
むしろ曹操はどこか始皇帝と武帝を意識してたような・・・

劉備は劉邦以外に意外と商鞅を意識してたかも。遺言でも
劉禅と劉永兄弟に商鞅の兵法書の「商君書を読め!」と言い遺してるし・・・ 

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 12:50:12 ID:ioPeiVpg0
曹操の袁氏を破った後で、配下が内通していた証拠の文書を読まずに焼却した、
なんていうエピソードは光武帝の真似だよね。

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 15:46:48 ID:NC46XSUW0
あーそういえば・・・光武帝が河北鎮圧でそんなことが・・・

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 17:04:21 ID:w5llDISJ0
漢中撤退の時も光武帝を引用している
だいたい武帝なんて曹操に限らず、宇文ユウや簫衍だって武帝だろうが
漢武帝は国庫の潤沢な資金を自己満足の為に外征に使い
儒家を重用した人物でこれっぽっちも曹操と被らない
始皇帝は言わずもがなで、何コレと新しいモノを想像した始皇帝に対し
曹操は屯田兵を始め、過去の遺物の使えるものを上手に利用するタイプ
光武帝は豪族のバランスの上に天下を統一した人物だから
後漢末に光武帝を模倣することは豪族層に対しての利権を尊重するぞという意思表示にもなる
それに光武帝と愉快な仲間達は名言・格言が多いので三国志の人物達はよく引用し、手本としてる

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 18:38:42 ID:MsQo3DRXO
まあ実際は光武帝は豪族の力を力を抑えようとしてるけどね
劉邦みたいな粛清等の強権的な方法は使わなかったから不徹底なイメージがあるけどね

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 19:26:21 ID:T+Bty32RO
実際に徹底は出来なかったからね

光→昭
武→烈
というわけで劉備は光武帝二号

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 19:32:07 ID:w5llDISJ0
実際、光武帝・明帝の間は上手くいってたし>後漢
外戚・宦官・自称清流の三連コンボでアボンしたが

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 19:50:33 ID:MsQo3DRXO
>>22
劉備本人はあまり光武帝を意識してる感じがしないね
諸葛亮は光武帝を凄い尊敬してた節があるけど

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 21:38:16 ID:Ke92jJfp0
たしか息子は、死んだ時の贈り名だっけ?あれが「廃帝」なんだよな?

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 22:09:58 ID:NC46XSUW0
>>24
他に太公望・管仲・商鞅・呉起等々では・・・・・?

>>25
思公。(多分)

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 22:12:16 ID:NC46XSUW0
続き)

諸葛亮の尊敬する人物(補充)→楽毅

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 23:22:15 ID:uDty30640
追尊劉禪為孝懷皇帝

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 23:27:19 ID:NC46XSUW0
劉禅が懐帝・・・思公と併せて2つの諡号があるということか・・・

そういえば、献帝も蜀漢から愍帝の諡号を贈られたと聞く。

30 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/11/19(日) 00:27:58 ID:vGPZK+4I0
病床の諸葛亮が撰んだとか言う諡号ね。

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 00:34:04 ID:BN9QeWfIO
諡について誤解してる人がいるみたいだな

廃帝とか少帝ってのは通称としての呼び名であって正式名称じゃない
諡をもらえなかったから便宜的に呼ばれてるだけ

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 00:51:11 ID:2a9DqSmq0
俺がされるとしたら廃人か

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 00:51:39 ID:Ko7ym4dA0
ここがヘンだよ日本人 ここが変だよ中国人
http://l-o-j.net./41/viewthread.php?tid=63419

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 00:52:39 ID:bJdLV+VY0
>>30
あぁ・・やっと来たね。

スレタイ通りに劉理(奉孝、名が王偏)が劉備の孫な件・・・
そして、劉禅の子の名は・・・

◎璿・瑶・j・瓉・c・璩(琥)・・・多分、王貴人の子
◎ェ・・・張皇后の子?

・・・かな?


35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 00:56:51 ID:BN9QeWfIO
「諱の偏が同じなら兄弟」みたいのはこの時代はあまり固執しない方が…

曹操と曹拠も兄弟?ってなるよ?

36 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/11/19(日) 01:06:26 ID:vGPZK+4I0
少なくとも劉瑶は張氏所生じゃなかったっけ。

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 01:06:27 ID:bJdLV+VY0
あぁ、そうか。そういうこともあるね。


そのぷらっとさんは結構「諱の偏が同じなら兄弟、または従兄弟」
ということに自分なりに考えを持っている人のようなので・・・

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 01:07:42 ID:bJdLV+VY0
>>36
えっ、そうなの?じゃあ劉理はどうなるんだろう?

39 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/11/19(日) 01:07:53 ID:vGPZK+4I0
>>37
その傾向は晋くらいから強くなるけどね。

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 01:10:23 ID:bJdLV+VY0
疑問に感じることは劉ェの名ね。
まさか劉「王甚」というわけにもいかないと思うけど・・・

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 01:40:10 ID:0zhUdeX00
実はな、劉ェについてのスレを立てたいと思ったことあるんだよ
劉備の子や孫で唯一好きなのが、劉ェ

一途というか、やんちゃ坊主って感じでいいじゃん
劉禅とか他の兄弟に「ェ、必死だな(プ」とか言われていそうなのも愛おしい
ゲームで、ェ坊やの能力、エディタ使って高くしたくなっちゃうんだよな

貴重でしょ、劉家でこういう跳ねッかえりの存在は

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 02:15:51 ID:bJdLV+VY0
劉ェって、どこか鬱を抱えているイメージがあるけど・・・

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 02:19:53 ID:QktPeHmE0
そういや劉備の子孫って今も残っていたりするの?

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 05:23:56 ID:sFcuo1h8O
劉理か劉永のどちらかの孫の劉玄が、晋の八王の乱の時だかに洛陽あたりから
成都あたりに逃げてきたってのはあるよね?
劉禅の子孫を始め、その他の劉備の子孫は皆殺しになったらしい。
劉玄の子孫はいたのか判らんけど。
もしいればその後、ある程度続いたかも知れないね。

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 09:37:47 ID:+V857Hec0
諸葛亮の子孫はいるのにな

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 06:53:38 ID:Xuwy/ECtO
日本にも諸葛さんているけど子孫なん?

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 10:36:05 ID:EpsaExvE0
台湾に劉備の後裔がいたとか・・・

48 :鍾離昧三昧 ◆KENSIzzDJg :2006/11/22(水) 18:01:07 ID:QeEQC1us0
劉封は最後がなぁ・・・。

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 21:07:52 ID:qRD3Bl/10
劉封
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%89%E5%B0%81

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 11:37:09 ID:BsQDmJy30
才ある故にか。
皇族なのにポンポン戦に出てる所を見ると
あながち弱くないみたいだね。

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 15:30:10 ID:AJFYcdMu0
亀スレになるが、劉封はどこか信康と似てる気が・・・
軍事能力があるゆえに却って劉備に警戒されたと・・・

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 15:48:44 ID:Veef+XQ+0
信康なんて大した実績もないだろーに

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 10:09:47 ID:wIt6CuLMO
劉禅は家臣次第で名君にも暗君にでもなる素養の持ち主であった。これは陳寿も『白絹の布のような人』と評されている
孔明の独裁政治を許したのも劉禅公の度量の広さであり
孔明もその器の大きさと人徳に先帝の姿を見出し一命を懸けて彼に仕えた


類い希な才能を持ちながら君主の嫉妬によって干されたり消したりされた名臣が居たことを考えると
孔明にとっては自分の才能を十分に発揮出来る、これ以上無い名君に仕えた事となる

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 10:50:01 ID:Vy6E5V1C0
その対照的が曹丕だね。正真正銘の名君でありながら嫉妬心が強かった。
特に同腹の兄弟にしては苛酷だったと言うね。

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 10:58:50 ID:Vy6E5V1C0
また、孫権も父・孫堅、兄・孫策の地盤を受け継いで、守成型を保ったのは立派。
但し、意外と積極性に欠け、戦下手で部下を処刑することは結構あった。
特に人口不足による倭方面に人口補強を失敗した部下を処刑した。

また、非常に酒好きで老公・張昭と衝突を繰り返したり、
自分の意向に逆らう虞翻を何度も処刑未遂するも、
部下の劉尚(劉繇の子)の諫言の繰り返しで、中断された。

孫権は非常に酒癖の悪い君主だったとか・・・

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 11:25:03 ID:pKuMbgOU0
酒飲んで出した命令は無効だとか言っちゃう人だからな

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 13:03:59 ID:+NV8XkVH0
3国の皇帝にもそれぞれ長所短所があるってことだね
確かに度量の広さは親父譲りだし、疑わないってのはいいよね
まあ某司馬の人とか乗っ取る奴もいるけどな

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 16:09:52 ID:Vy6E5V1C0
三国の歴代皇帝


先代 (曹魏)曹操 (孫呉)孫堅・孫策 (蜀漢)劉備

次代 (曹魏)曹丕・曹叡 (孫呉)孫権 (蜀漢)劉禅

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 20:08:12 ID:6tZD/S4J0
>51
家康の息子たちは、曹操の息子たちと比較してみたら面白INジャマイカ?

信康ー曹昂
秀忠ー曹丕
秀康ー曹彰
忠吉ー曹植

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 22:13:07 ID:gBUjz7K60
劉封って何年生まれ?

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 22:21:56 ID:Vy6E5V1C0
う〜ん、俺なら・・・

(徳川家)
信康+秀康≒劉封
秀忠≒劉禅
忠吉+忠輝≒劉永
義直+頼宜+頼房≒劉理
家光≒劉璿+劉ェ

(織田家)
信正≒曹昂+曹鑠
信忠≒曹丕
信孝≒曹彰
信雄≒曹植
勝長+秀勝≒曹熊
津田信澄≒曹休
蒲生氏郷≒曹真 

(毛利家)
毛利弘元≒孫鍾
毛利元就≒孫堅
毛利隆元≒孫策
小早川隆景≒孫静
毛利輝元≒孫権

・・・かな?

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 22:22:43 ID:Vy6E5V1C0
>>60
多分190年前後。

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 03:14:27 ID:mdViCXj60
>>61
こういうのは不毛だが、そのメンツなら

秀忠=曹丕
(秀忠は自分が政権を握った後、鬼のように改易をしまくってる独裁者)
信康=曹彰
(粗野で考えたらず)
忠輝=曹植
(狂騒児。ただし父親に愛されたか、愛されてないかの違いがある)
保科=曹真
(二代目から信頼を受け、実直であった)
家光=曹爽
(宮廷権力抗争には長けるが、基本的に無能。補佐ありき)
信忠=劉封
(信忠は武将として優れた功績を挙げている)
勝長=曹沖
(将来を期待された逸材)
信澄=曹仁
(親族一の名将)
吉川・小早川=孫策・周瑜
(基盤を築いた名将)
隆元=孫登
(人柄穏やかで、縁の下の力持ち)

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 03:37:14 ID:8ghpFeYk0
>>63
秀忠は曹丕と劉禅がミックスしてるね。
(理由;秀忠は戦が下手、泰平の世では能力を発揮)

信康は曹彰と劉封がミックスしてる感じ。
(理由;粗暴な所もあるが、戦はまあまあ、どちらも父に警戒され非業の末路に)

信忠は劉封と曹丕がミックスしてるような・・・
(理由;嫡男として父に期待され、文武両道に優れていた)


・・・こんな感じだと思われ。

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 03:43:21 ID:mdViCXj60
ミックスというよか、曹彰と劉封が単に同系統なだけ
信忠はそれ程政治で優れてた実績は無いので曹丕を混ぜるのは躊躇われる
それこそ混ぜるなら劉禅を混ぜろ

っていうか、コレは戦国系の板で三国志に当てはめるヤツにも言うんだが
何故に古代と中近世の人物を当てはめようとするんだろうねぇ
戦国期の人物なら元末明初、三国志なら古墳飛鳥時代の人物に当てはめろよと言いたいが

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 03:52:05 ID:8ghpFeYk0
まあね。時代の状況が違うし。

三国なら同じ中国の元末の状況と比較という見方もある。

朱元璋―劉備

張士誠―袁紹

陳友諒―曹操

というパターンもある。

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 03:53:58 ID:mdViCXj60
方国珍―孫権

か?

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 09:54:09 ID:7s6xctnv0
>>62
意外と若いなw

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 10:13:47 ID:+2A7jxos0
劉禅は豊臣秀頼
諸葛亮が石田光成

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 08:40:07 ID:yYYviKOa0
逆に斬新だな

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 10:52:36 ID:92XsFN3R0
>>69
司馬懿が徳川家康か

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 15:08:59 ID:VwWwwi0F0
司馬懿は黒田官兵衛。
袁術は秀吉(W)。

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 09:34:30 ID:xwLxbRj00
それおかしいw

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 11:08:05 ID:9Gmc/2GZ0
確かに袁術は秀吉と違い名門だけど、大げさ見栄を張り
威張り腐ったの所は意外と秀吉に似てると思うけど・・・

袁≒猿・・・なーんちゃってね。

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 13:44:00 ID:7P78s+mkO
>>74 うむうむ術殿も実力が備わっていれば良かったが

彼と秀吉公との決定的な違いは人心を掴むこと。関白になって威張り腐るようになっても相手を持ち上げる事は相変わらず上手かった

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/02(土) 14:52:28 ID:gLvvHU8Q0
そこで、陰険な狡猾狸福耳野郎の家康≒劉備に足元をすくわれるわけですよ。

川尻肥前守秀隆≒車冑の二の舞のように・・・

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/03(日) 02:22:15 ID:z9VrDCxy0
関が原の戦いは下手すれば夷陵の戦いのパターン・・・の場合もある。

感情に勝った家康然り、感情に負けた劉備然り・・・

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/03(日) 20:39:44 ID:+X/YZE/F0
そのネタ飽きた。

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/03(日) 23:41:17 ID:z9VrDCxy0
ふーん・・・

こっちも劉備=秀吉、司馬懿=家康のネタにはもう飽きたけどね・・・
俺から見てもどっちも全然似てないと思うし。

それ以外ならなんでもいいよ。

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 14:05:33 ID:VNtD4jwa0
劉備って狡猾ね

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 22:26:50 ID:+Wkw/1i60
そこがたまらなく良い!

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/19(火) 23:57:35 ID:sYvBvphZ0
劉備って何人子がいたっけ?

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/20(水) 00:01:10 ID:1ZMnAFFt0
>>79
みみっちいなw
それもひっくるめて飽きた。


84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/20(水) 14:00:40 ID:BeCR7ECj0
強いて話題を吹っかけるなら・・・

劉封がケ禹の末裔の可能性が大であること。
そもそも羅侯の寇氏ってのは、実はケ氏(寇とは同音)の誤筆。

後漢の安帝によって、餓死したケ隲(ケ禹)とケ鳳父子の
子孫が高密侯から南陽の羅侯に降格されたのが史実。

ソースは後漢書。

・・・まあ、劉封はケ芝の親戚でいいと思う。

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 16:09:29 ID:N5AfSxer0
>>80
狡猾なわりに失敗も多いようなw

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 21:24:54 ID:t8MpmQBF0
>>84
そういうエピソードないから親戚にしても劉備と後漢王朝ぐらいの遠い親戚だろう

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 22:37:41 ID:WvJxf73E0
ドーピングコンソメいかんざき

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/11(木) 13:51:38 ID:zuY6MbTx0
寇恂

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/13(土) 01:58:48 ID:Lptl0erHO
来敏は来歙の子孫

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/16(火) 02:17:22 ID:tewRBCiN0
来歙?

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/16(火) 09:41:31 ID:gFLUSAdt0
カコウトンの長男って誰?

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/16(火) 10:57:58 ID:eqnoPpCV0
>>85
だからこそ面白い。
狡猾だけど、謀の点に関しては曹操などに劣るわけで。

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/16(火) 13:33:43 ID:tewRBCiN0
>91
夏侯惇で潜ればすぐ判明する。

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/29(月) 03:23:34 ID:s55Hi/Ew0
>>75
待てやコラ
袁術皇帝陛下は人心掌握に長けておられたし実力も多大なものであったのだ

問題は曹操がそれを圧倒的に上回って優れていたというだけの事よ…

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/29(月) 09:23:32 ID:3uhg6g920
草々は織田信長より狡猾で頭もよい

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/29(月) 10:02:31 ID:WNbuwy590
劉備は息子の誰でも良いからケイシュウに残すべきだった。
最も信頼してる関羽にケイシュウ防備を任せたわけだが、関羽を諌められる武将がケイシュウに
一人も居なかったのが悔やまれる(馬良やビホウでは関羽を諌められない)
北伐をする際にも公子が居るとなれば、より慎重にケイシュウの防備を高めて
呉に対する警戒もMAXに達しただろうし、場合によっては魏侵攻よりも
公子とケイシュウを守る事が第一義だと考えて無謀な北伐に参加せず
見事にケイシュウを守りきったかもしれない。

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/29(月) 10:17:26 ID:WNbuwy590
劉備の息子って言っても劉邦と劉禅ぐらいしかおらんだろ
劉邦と関羽は仲悪いし劉禅はまだ幼いし

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/29(月) 11:11:16 ID:s55Hi/Ew0
劉封は息子じゃなくて養子だからな
養子を公子にしても中々難しいだろう

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/29(月) 15:56:23 ID:WNbuwy590
公子じゃなかったら親族でもいいよ。嫁でもいい。
関羽を自重させる者、もしくは関羽が一目置かざる得ないものを一つは
ケイシュウに置いとくべきだったと思う。
それは価値が高ければ高いものほど良い。
または政略結婚を蜀主導で進めてケイシュウ防衛軍と南三群及び呉、上庸の間で
お互いが裏切れないように縁戚関係を結び出来得れば嫁とか養子の名義で
呉の重要人物をケイシュウか蜀に引き取れれば良かった。
呉から関羽へ政略結婚の申し出があったのが事実かどうか知らないが
呉から、そういう話がなくとも蜀主導で進めても良いくらいの話だった。

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/29(月) 15:59:57 ID:RVkqj4Z40
ID:WNbuwy590は大変な妄想家の上歴史も知らない。
自分の世界だけで物事を語っているように思える。


101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/29(月) 17:50:50 ID:nEyRMMOZ0
>>96
劉禅も劉封も荊州に置いていってるよ。
でも劉禅は即位時に17歳で劉備が益州を入った時で7,8歳。
意味がないな。

>>97
劉封が関羽の樊城攻めの時に救援の兵を送らなかったのは事実のようであるが、それを以って荊州時代から仲が悪かったとは言えないと思うが?

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/29(月) 18:49:30 ID:0Wb/qjMt0
>呉から関羽へ政略結婚の申し出
これが事実だとするとさ、その目的のひとつに、「劉備と関羽の離間」は
なかったのかなー、と思ったり。
もし関羽が独断で受けちゃったら、蜀の首脳陣は面白くないだろうし。

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/29(月) 20:12:27 ID:HGfyCAn/0
蜀と呉の同盟強化の為の婚姻なられっきとした外交政策なんだからまず劉備を通すだろ。


104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/12(月) 20:41:44 ID:YGA0/NYA0
劉禅って長男?

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/12(月) 22:08:04 ID:7N8tepaf0
>>104
長男だよ
昔は居たみたいだけど殺されたんじゃないか?
捨てて逃げてるし

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/13(火) 09:45:12 ID:riLNgWNH0
劉備と劉禅、年離れすぎ

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/14(水) 20:59:33 ID:gw6Nyoeq0
うむ( ^ω^)

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/16(金) 14:37:09 ID:sVHv8cm50
>>106
義兄弟で愛し合った期間が長すぎたから

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/16(金) 16:57:12 ID:PUtbRRZK0
うほっ

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/16(金) 17:58:46 ID:LlGascVw0
>>106
それを言ったらマツケンは・・・

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/16(金) 21:26:35 ID:ENIUvJYH0
アッ――-―!

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/26(月) 21:40:08 ID:lcdZn3m20
なにこのスレ?

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/27(火) 09:48:13 ID:ZNit/dK30
関羽×劉備 (> <)きゃー

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/28(水) 12:43:39 ID:IeWKTqQB0
(> <)きゃー

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/28(水) 20:36:46 ID:Btyo8fyv0
:(;´゚ω ゚):. アッーーーーーーーー!

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/03(土) 22:15:38 ID:QqhT+slP0
結構年を取ってから産まれた子は特に可愛いものだと思うけどなあ。

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/03(土) 22:27:33 ID:2J2DZYcy0
劉禅と劉永は蜀滅亡まで生きてたが劉理だけは早めに(と言っても244年だけど)死んでるね。

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/04(日) 20:34:46 ID:MfAApgsm0
劉封は180年生まれでおk?

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/06(火) 20:14:38 ID:KGOv09U60
178年説有り

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/07(水) 01:40:33 ID:IOSLnpTJ0
http://ex21.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1173198755/l50
夢蜀【むしょく】

三国時代の蜀の後主、劉禅は後世に於いて無能な君主として描写されることが多い。
しかし、そうではないことを示す逸話をここに紹介する

魏に降伏した後、劉禅は蜀を懐かしむ素振りも示さず、酒宴に明け暮れる日々をすごしていた
かつて蜀の臣だった人々はこれを観て甚く悲しんだ

幼少の頃より劉禅の身の回りの世話をしていた宦官のという者が居た
邇杜は宦官にしては気性が激しく、正邪を弁えた人間だいう評判だったが
ある日、いつものように楽しそうに宮女の舞を見ていた劉禅を見かねた邇杜
「殿は蜀が恋しくないのですか」と言った
劉禅は聞こえない振りをした
すると邇杜は宮女を押しのけ、劉禅の目の前まで進み出て大声で怒鳴った
「あなたにとって蜀はなんなのですか!」
劉禅は目を逸らし、やはり何も答えなかった
ついに邇杜は劉禅の胸倉を掴み、涙をながして言うに
「あなたは毎日何もせず、踊りを見て酒を飲むばかり。一体何を考えてらっしゃるのか」

邇杜に向き直った劉禅の目には涙が浮かんでいた
そして彼は一言だけ、こう言ったという
「夢蜀。」と

「私は蜀の夢を見ない夜は一度たりとも無かった。」
劉禅の気持ちを察した邇杜は大いに恥じたという

この逸話はしかし劉禅が蜀を再興しようという野心があると思われる危険があったため、公には伝わっていない。
これ以降、日ごろ何もしていないが心の中に大志を抱くものを「夢蜀」と呼ぶようになった
最近では後半の意味が忘れられ、ただ単に何もしない人間をさすようになり、いまの「無職」になったという
 
                  『消された歴史・隠された真実』 李安庸


121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/07(水) 09:41:48 ID:dup/CnSl0

(  ;ハ;)イイハナシアルー

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/08(木) 23:41:21 ID:miLE9hgI0
ワロタ

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/14(水) 19:51:06 ID:UCwntrup0
劉永って誰?

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/14(水) 19:59:35 ID:Fi/lBc8N0
>>123
劉禅の異母弟。

> 劉永字公壽、先主子、後主庶弟也。
> 章武元年六月、使司徒靖立永為魯王。
> 策曰
> 「小子永、受茲青土。朕承天序、繼統大業。遵脩稽古、建爾國家。封于東土、奄有龜蒙 、世為藩輔。
> 嗚呼、恭朕之詔 。惟彼魯邦、一變適道、風化存焉。人之好コ、世茲懿美。
> 王其秉心率禮、綏爾士民、是饗是宜、其戒之哉」
> 建興八年、改封為甘陵王。初、永憎宦人黄皓、皓既信任用事、譖構永于後主、後主稍外永、至不得朝見者十餘年。
> 咸熙元年、永東遷洛陽、拜奉車都尉、封為郷侯。

以上、蜀志劉永伝。

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/19(月) 21:32:46 ID:Enm4Pjpq0
劉備の何歳下?

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/19(月) 22:17:17 ID:gwftGI8Y0
>>125
劉禅は46の時の子。
他は不明としか言いようがない。

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/19(月) 23:58:44 ID:iua/T2O90
劉備ってお盛んだったの?

皇帝となった時は、もうかなり年寄りだし、
今さらそんなに遊べなかったか。

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/20(火) 09:37:03 ID:VKQjBPOC0
46!もっと早く子供作れw

129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/20(火) 20:54:27 ID:fPztzaoH0
徐州時代に子供がおったのでは?
張飛がうっかり酔っ払って呂布に乗っ取られたときに、
呂布が劉備の妻子と老母を保護させたって書いてあったと思ったが

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/20(火) 21:11:45 ID:DINIrIRh0
>>129
劉禅は新野時代に生まれてるから、それ以前のは相次ぐ敗走、生々流転の渦中で死んでったんだろうね。

131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/20(火) 22:29:41 ID:8Y3cWrtg0
(  ;ハ;)カワイソウナハナシアルー

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/20(火) 22:37:58 ID:DINIrIRh0
陳到が徐州時代に子供を助けていて、そいつが後主になっていたら……
趙雲と陳到の立場が変わっていたことだろう。

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/21(水) 10:55:28 ID:re3kpCo40
そこ子供だったら滅亡はもっと遅かっただろう

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/28(水) 00:18:41 ID:APewa02N0
劉禅には6人か7人子供いたんだよな
降伏にキレてクビ切った子供が有名だけど
皇太子はボンクラでとろとろしてるうちに殺されたんだよな
劉備の一族ってとことこダメだな
子孫は一人以外全部永嘉の乱で滅亡したし
もしかしたら劉禅は一族で劉備の次に処世術にたけてたのかも

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/28(水) 09:38:12 ID:6z0zdvyJ0
たしかに生き延びた分、どこかしら賢い部分もあったんだろうな。
死んじゃったら何もならないし

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/29(木) 10:55:06 ID:vY4ZFEsb0
娘が最低2人いるでしょ、劉禅より前に

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/29(木) 22:26:50 ID:eA3EpRsP0
劉禅の場合、生きてても何もならない。

138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/30(金) 09:33:39 ID:7/7nQX8/0
ただ道楽生活をすごすだけだもんな

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/30(金) 20:53:02 ID:RWXZ9YGh0
漢王朝の真の復興のためにはむしろ邪魔だったかな

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/02(月) 20:37:50 ID:4QMZDuqR0
劉封は名将?

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/03(火) 00:24:53 ID:pbRzy2Md0
よくて良将。

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/03(火) 01:26:35 ID:3AtpUj+u0
十分過ぎるほど名将だろ。
冒頓単于だの項羽だの韓信だのが超名将が同時代に結集してるせいで割りを食ってるだけ。

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/03(火) 01:36:24 ID:3AtpUj+u0
しまった。劉邦と勘違いした。
ああ、養子の劉封ね。彼は良将止まりだろう。
ただ人手の足りない蜀漢陣営では相対的に重要な部将の一人だった。

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/03(火) 09:26:42 ID:KsGrP8R80
しかし、なんであんなとこから養子取ったんだろう・・・・

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/04(水) 02:13:24 ID:0uxFM+xa0
劉備がヤクザの親分って考えればそれほど不思議でもない
養子取りまくりは階級が破壊された五代十国には顕著に顕れた傾向だし
当時は宦官が養子を取り始めた時期でもあった

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/04(水) 09:20:17 ID:KHKazygT0
曹操の親父も荘だね

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/04(水) 19:57:48 ID:wKJtNhKR0
劉封は羅侯の寇氏の末裔とあるが寇氏というのは間違いでケ氏という説がある(中国語で同じ発音)
このケ氏は後漢の建国のケ禹元勲の子孫にあたる(ケ禹の子供が羅候に任じられている)
家柄としては十分すぎるし荊州にかなりの影響力を持ってた家だったから養子にしたんじゃないか?
ケ芝もケ禹の子孫らしいが劉備に仕えたのはこの縁ではないかと

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/04(水) 20:54:15 ID:ET/T9TzA0
ケ氏ってそんな目池なんや

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/04(水) 22:29:35 ID:wOFgf+ApO
功臣表が残らない後漢では初期の羅侯と末期の羅侯が同じ氏かどうか分からないよ
魏書の武帝紀に出てくる合肥侯は記録は無いが堅鐔の子孫じゃなく劉氏じゃないか

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 09:15:48 ID:+BfwA/qI0
150get!

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 21:18:15 ID:709/P+6f0
張翼も張良の子孫で漢の三公の家柄だし蜀も何気に家柄いいのが集まってるんだよな

152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 23:04:55 ID:N36CcAaV0
そうだなー だからこそ旧勢力の漢の復活を期待したのかも

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 09:45:08 ID:5xGTreOv0
>>151
本当ですか?
初めて聞いた

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 12:14:14 ID:QkQtBcRi0
昔どっかで見ただけだからソースも探せないしそもそも中国人は先祖を捏造することが多いから(日本人もだが)
ただ三公は本当だからそれなりにいい家柄のはず

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 13:38:49 ID:zxoijmKC0
蜀って、貴族的な層が特をした王朝?損をした王朝?

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 16:13:44 ID:HNEf6eWQO
>>154
後漢書に書いてあるよ
まー怪しいのは同意だけど

>>155
あまり得したとは言えない
劉備に従った荊州の名家、有力豪族は土地を失ったり一族離散したりしてる
益州の豪族は荊州から来た連中に抑えられて全体的にはあまり良い目見てない

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 21:46:36 ID:rBGns71X0
( ;∀;) イイハナシダナー

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/17(火) 23:57:24 ID:cn4Eo3Lj0
>>156
治めるのが結構大変そうだな

159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/18(水) 09:22:40 ID:nnMKJofi0
>>147
結局どっちが本当なんだ・・・・

160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/18(水) 12:13:00 ID:9RAXKwPEO
>>159
どっちでも大勢に影響は無いんじゃない?
どっちにしろ後漢の功臣の末裔で荊州の豪族で母方が劉氏だったということに変わりはない

161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/19(木) 00:39:57 ID:FL0IgTcb0
どっちが本当と言われてもタイムマシン使って見にいくでもしなきゃ判明しないな

162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/19(木) 09:17:49 ID:84ng6WUS0
あ、母方が劉一門なんですか・・・・

163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/24(火) 09:27:18 ID:Z+HdjPBa0
>>160
漢の功臣って、宴席一門より厚遇されてたりするの?

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/30(月) 11:14:24 ID:Bz5jjp+Q0
縁戚じゃなkyて

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/03(木) 11:27:50 ID:1eY13Fr40
劉永って印象薄いくぁ

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/03(木) 22:08:06 ID:VwtvLG9N0
safe

167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/05(土) 15:10:19 ID:xQuNlRPm0
>>165
だれ?

168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/06(日) 20:46:21 ID:my5T0D1v0
中国語の発音なんてわからんなぁ

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/08(火) 09:35:23 ID:SVYA2+2P0
後期蜀としてはまず荊州を取り返すべきだな

170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 09:38:47 ID:X3kiu20M0
晋以降は、普通に劉姓名乗れそうだね

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 00:02:53 ID:iJa4hNX20
そうかぁ?

172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/13(日) 20:09:06 ID:h2ljE+J80
劉延と劉備ってどれくらい血縁離れてるんだ

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/13(日) 23:26:22 ID:FBVhz9V10
劉延も漢室の一員だったっけ?

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/14(月) 19:32:31 ID:UAJPcLWn0
数百年前の祖先が同じだったぐらい離れてる

175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/16(水) 09:54:34 ID:2Yzy/Tsp0
φ('A`)ウボアー

176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/19(土) 00:20:07 ID:GbnvE59p0
劉裕を養子にすればおk

177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/19(土) 13:53:16 ID:isNVVcJbO
「りゅう」って携帯で変換できないんだけど…

178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 10:51:24 ID:u6tKMP6C0
そりゃぁそうだろう

179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 15:36:22 ID:SAMkitKt0
この一族は、漢民族だから、今の中国人どもに美化されてんだよ

180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 18:01:15 ID:NUgbQWPZO
そういやうちの地元に名字が劉って家があったな〜


181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/21(月) 00:29:18 ID:ZMKU42Hp0
劉永は、董允死後台頭してきた黄皓を遠ざけるように劉禅に言上して、
逆に劉禅の怒りを買って以後十数年謁見が許されなかったんだよね。
皇弟ですらこうなってしまうんだから、
諸葛瞻・董厥あたりの末期内政トップ連中がいくら黄皓を嫌っていても、
実際にそれを除く方向に動けなかったのも仕方ないか。

182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/21(月) 00:34:58 ID:ZMKU42Hp0
あ、間違った。
董厥でなくて樊建ね。

183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/21(月) 01:00:05 ID:49Wao8mNO
皇族が政治に口出すのを嫌うのはどこも同じ

184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/21(月) 23:02:56 ID:L97AAhLk0
劉備の面影があったらしく、呉懿(伯父)、魏延、王平あたりはみな劉永を慕ってたそうだな。
三国志を扱ってる本によっちゃ、著者が「劉備の血はみな劉永にいってしまった」と書いてたりもする。
劉禅としちゃ、どうしてもコンプレックスが拭えない、出来の良すぎる弟だったんじゃないかね。

185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/21(月) 23:26:37 ID:kEaC8OKD0
劉備の威風があったら、居候されてるものにとってはさぞかし迷惑だっただろうなぁ

186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/21(月) 23:29:26 ID:49Wao8mNO
>>184
そんな話あったっけ?何伝?

187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/22(火) 00:11:22 ID:vpRw9ivx0
劉禅「 兄より優秀な弟など存在せん!」

188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/22(火) 09:15:34 ID:rdjxAAEi0
織田信雄

189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/22(火) 16:28:46 ID:J1EeiIxM0
三国時代のレベルの高さは曹操が証明している。

春秋時代は匈奴に負け続け
劉邦は匈奴にぼろ負けした。
曹操は騎馬民族に勝利し、ほとんどを服属させた。
夏侯淵も戦果を挙げた
晋以降は立場が逆転した。
五胡南北朝宋は異民族政権
明は日本にぼろ負けw
中華民国は語るに及ばず
中国はアメリカ、ソ連、ロシアに勝てない

つまり
三国時代>>>>>>>>>>>他の時代



190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/22(火) 20:46:47 ID:3rKOaivq0
おまいは敵の強さがいつも同じ水準にあると思ってるのか

191 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/23(水) 08:40:05 ID:IxOMfy810
>>186
wikipediaなどに書いてある、数多くの…の中の一つっぽいな

192 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/23(水) 09:17:10 ID:ONHADRZk0
漢〜三国〜晋あたりが中国の良き時代

清〜共産 の現代は、直視できないぐらいヒドイ国になってしまった

193 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/23(水) 09:51:31 ID:IxOMfy810
共産党的な価値観で歴史遺物を平気で破壊。
共産党的文化によって国土を塗りつぶそうとしてるモンな。
歴史遺物を失った後に残るのは、韓国のようなウリナラ起源文化だというのに。

194 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/23(水) 13:43:53 ID:UJb1Q9jc0
唐〜宋あたりが中国の一番良き時代

195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/25(金) 23:17:27 ID:KVaj4Rtr0
台湾がいいところを受け継いでるな

196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/26(土) 13:34:18 ID:Uggk3zZI0
よく劉禅の暗愚を示す司馬昭に蜀が懐かしくないか以下略だけど、
読み直すと司馬昭には家臣との会話も逐一盗聴されていた、
ってことじゃないか?ああする以外生きる道はなかったよ…

生き延びただけでも上等。少なくとも武田勝頼や豊臣秀頼よりまし。

197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/26(土) 14:02:50 ID:Dbj5Yn6G0
武田は相手が信長だし秀頼を生かしとくといつ幕府がひっくり返るかわからないから比べる規準が違うな
それに曹氏や司馬氏は人道的すぎる
他の時代で生き延びた旧王朝の帝室で生き延びたのって後周の柴氏ぐらいしか知らない

198 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/26(土) 14:54:57 ID:W2Qc6IYC0
>196
盗聴されていたなんて生易しいもんじゃなくて
その家臣が司馬昭のスパイだったんじゃないかな

199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/27(日) 18:02:18 ID:WsnpZ1Lc0
>>197
>それに曹氏や司馬氏は人道的すぎる

よく考えるとそうなんだよね・・・・・
漢代の馴れ合いってやつなのか・・・・

200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/30(水) 03:54:35 ID:524S9m9cO
>>197
人道的すぎるなどという生易しい事じゃない。
恐ろしい事だよ。
銀河英雄伝説という小説に簒奪について書いてあった。
思い出しながら書きます。

ある王朝の創始者は、まことに賢明であった。
敗者に対する寛大な心が人心を獲得すること。
名目的に前王朝の者が貴族として遇されることで、新王朝に対する敵対心を和らげ、さらには無気力化していくことを洞察していた。

曹氏も司馬氏も生かしてたのは、すべて計算ずくだよ。


201 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/01(金) 23:44:10 ID:tV1yR1Sl0
(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル

202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 01:25:53 ID:6IliRqz30
曹氏や司馬氏は前政権を長時間かけてグダグダにして人心も掌握してたから無理して殺す必要がなかったんだといえる
戦争で滅ぼされると人心を掌握できてないから前王朝の血筋は滅ぼしたほうがいいな

203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 10:42:22 ID:p0kebtRt0
銀英伝(笑)

204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/06(水) 09:32:31 ID:amyx/QYb0
           ___
          ./    \
          .| ^   ^ |
          | .>ノ(、_, )ヽ、.|
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   i;;',,,  r---イ     /|,、_,,  ,',;:',i
   .l;';',;,,  }  /;\     / ヽ / ,;,;;',;l
   .|;;',;,   } ./;;;,, \   / ;;;;;;ヽ ,,;;','i
   i;',,   / /;;,',';;  ノ--, ',',;;::',',゙i ,,';';i
   i;,';  /./,',',';;" /   \ ',',',;;,'i ,;',i
  /  / i 、  /    ヽ ',;::'、|  \
 ヽヽヽヾ丿  〈       ヽ''  {////
  ```` ト,   i        | 、 i´´´
      |',',;;  }        ! ',',;;i

205 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/07(木) 17:21:13 ID:f3DttMiU0
現在「集団ストーカー」というのがよく話題になります。
創価学会がやっているとか、探偵社がやっているとか、色々憶測が飛んでいますが、
実際には学会が行っている犯罪です。学会員と揉めてからはじまりました

学会の中には創価班・牙城会という部署があり、ここには
「学会・学会員とトラブルを起こした一般市民に嫌がらせをするセクション」
が存在します。
この連中は学会の敵を監視して、嫌がらせをするのが仕事です。
こいつらが行っている任務が、集団ストーカーです。

学会員は組織的なネットワーク網が充実しているため、実行部隊には学会員を使っています。
パッと見には、誰が学会員だとかはわからないでしょう。
それをいいことに、学会のネットワークに個人情報を流し、嫌がらせをさせているのです。

「仄めかし」というのは本来、「どこにいても対象のことを知っている人間がいる」
=「どこにいても監視されている」と思わせることが目的です。
それを治安を破壊する者でなく、単なる一般市民に対してハイテクを駆使して
集団で行うのが、学会の集団ストーカーです。

公安なども行っているという報告がありますが、創価学会は一般市民に対しても
容赦なく実行してしまいます。
また集団ストーカーの後始末は精神科へ行かせて証言能力を奪うか
社会的に抹殺するか学会員にするかのいずれかですが地域や親戚家族をも
巻き込んで猿芝居を演じて基本的には絶対に精神科へ叩き込みます

どちらにしても、学会が、その体質として受け継がれてきた敵対者をひっそりと
抹殺する方法が集団ストーカーといわれているものの実態です。

206 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 21:41:45 ID:EahPHZjQ0
明治政府もそうだな。旧大名、幕臣のかなりの人数貴族にしてたし。
皆殺しよりずっと賢明だよ。

207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 23:53:40 ID:oKdncoPV0
廃藩置県が成功したのは
幕府が大名を苛め抜いて、ほとんどの藩が
財政破綻状態だったから

208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/12(火) 09:32:50 ID:b74erQtu0
劉封を処断しなければ・・・・

209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 00:08:22 ID:cZTG0UpU0
劉備は短気すぎ

210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 22:07:42 ID:6f0gLFk60
そうだね
まぁ親分みたいなもんだしね

211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 23:42:39 ID:EbQAgI650
劉備の娘がレイプされて妻にされたよね

212 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 00:58:54 ID:K3biwmSG0
劉封の処刑は計画通りだろ。
養子を取ってから実子が生まれたんでやっかいになったんだよ。


213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 15:37:06 ID:PTX/jNP40
なんでわざわざ養子にしたのか分からんな

214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 19:24:27 ID:i2XLxcto0
劉封の子、劉林視点の三国志も見てみたいな。

215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 00:00:16 ID:K8VS7CkJ0
劉林は生き残れたのか

216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/25(月) 11:27:15 ID:CMLy03cq0
>>212
実子がいるのに養子を取ったんだろ

217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/25(月) 19:34:05 ID:t+rJk4710
>>215
蜀滅亡後に河東に移されてるよ。

218 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/26(火) 10:40:10 ID:SCLUq7dH0
蜀滅亡まで生きてたのか 

219 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/26(火) 11:54:59 ID:XeHZN7k/0
劉備の場合何でか一族郎党が少なかったから、養子とってでも増やしたかったってとこかと
近世以降みたく概念的な忠義が今一つ信用できない時代のことだし、やっぱり血縁がいちばん信用できたわけで
赤の他人では重要な役目を任せることが難しかったんじゃないでしょうか

曹操なんざ曹一族に加えて夏侯一族がいたし、孫一族は地元豪族みたいなもんだからそうした血族に不足無かったけど
劉備の場合兄弟とか従兄弟がほとんどいないか、出てこない

220 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/26(火) 21:14:04 ID:DN5f3laQ0
曹家が下級官僚だったのは知ってるが
当時の夏候氏はどんな身分だったの?

221 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/26(火) 21:58:21 ID:P2eNqHqZ0
>>216
それ演技の脚色だから。
実際は劉禅誕生の207年より前の髀肉の嘆をかこってた時に
劉備に跡継ぎがいないんで養子を迎えたというのが有力な説。
ちなみに当時の劉備は40を過ぎてた。

222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/27(水) 17:31:34 ID:mUpjMrI00
祖父の曹騰が中常侍、父親の曹嵩が司隷校尉から大司農、太尉歴任でかなり高位の官僚
夏侯氏はほとんど地方豪族みたいなものだったんじゃないかな?


223 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 23:34:22 ID:Lx0mdGc50
高級官僚か・・・・

224 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 23:53:26 ID:6j9Zt43F0
劉備と呉夫人の間に子供が出来てたら面白かったのにな
ひょっとしたら、歴史が変わってた可能性もあるだろ

225 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/02(月) 12:03:55 ID:oAiqBYUh0
劉備と呉夫人(呉懿の妹)との間に生まれたのが劉永、劉理じゃなかったか?
それとも>224の言う呉夫人って孫権の妹の方?

226 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/02(月) 12:14:49 ID:MGLLn9BvO
>>225
理、永の母は不明
呉氏ではないよ

227 :224:2007/07/02(月) 19:29:10 ID:jGOdj6vb0
>>225
孫権の妹の方
弓腰姫とか言われてた人



228 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/02(月) 20:32:35 ID:kr6aF5uF0
孫権が妹ごとその子を連れ帰り呉がその子を蜀王として蜀を衛星国に

229 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/06(金) 23:40:44 ID:Y7aIXOSa0
むりっす

230 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/08(日) 21:44:18 ID:Ajlv2E0t0
このスレの趣旨は?

231 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/14(土) 00:33:29 ID:ubQtIGdp0


232 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 15:05:56 ID:3aSmKNjS0
劉禅ってそもそも家臣のいう事にNOと言えない人だよね。

唯一、自ら決断した事である後宮拡大も、董允が゙反対したらすぐ諦めてるし。

233 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/23(月) 13:08:33 ID:2lz1pqhx0
>>232
諸葛亮が病没した時のこと。
李邈は喪に服している劉禅に対して上表し祝賀を述べた。
曰く、「軍権を握り強大な権勢をふるう家臣の存在は国家の害悪であり、今、諸葛亮が死んだことは国家にとって幸いである」と。
劉禅は立腹し李邈を獄に下して処刑した。

一見、黄皓らの言に乗って姜維を降格するようなことをしなかった件などから、劉禅は家臣に対して厳しい態度は取らなかったように思えるが実はそうでもない。
もっとも姜維の件は下手に刺激すればどうするかわからんという恐れもあったのかもしれないけどね。
それはともかく、劉禅には上で上げたような面もあるし、若い頃はそれなりに皇帝の気概を持っていたと言っていいと思うよ。
ただ後年は……

234 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/23(月) 15:25:22 ID:p5QVwxI40
>>233
諸葛亮が蒋エンに「平価は善悪の判断が出来ない。君が良く補佐するように」という文面の手紙を出してるからなぁ。
蒋エンならずとも、董允、費イの入れ知恵なんじゃないかと思ってしまう。

235 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/23(月) 22:10:12 ID:2lz1pqhx0
>>234
諸葛亮没後も政治の中枢を担ったのは諸葛亮系列の人材だしなあ。
そういう面もないとは言い切れないね。

諸葛亮直系と言っていい董允が死に費禕や姜維は外地に。
そういった中でお傍に仕えるのは諸葛亮系列ではあるものの諸葛亮直系とは言いがたい劉禅お気に入りの陳祗。
そしてその陳祗は黄皓と意を通じて劉禅を甘やかす。
人の好さはあるもののダメさが目立ってくる劉禅……

236 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/24(火) 03:16:26 ID:iin73k4r0
>>235
人を疑い自らの意思を貫く心が決定的に欠けてたんじゃないかと思うんだよね。

・李平(李厳)の謀略による上表を信用して、諸葛亮を召還。
 後に諸葛亮が連名で李平を弾劾すると、言われるがままに今度は李平を追放。

 →容疑者にされた諸葛亮が少し調べると、李平の裏工作は明らかとなった。
  また、一度聞き入れた上奏とは正反対の上奏を何の臆面も無く受け入れている。
  どうも劉禅は上奏には真実が書いてあると思い込んでいるのではなかろうか。と思える
  しかも、上奏の結果を信用する事で何が起こるかを理解していない。
  その上、この事で学ぶことなく、後年は黄皓に騙されている。

・性欲が強く後宮を作ろうとしたが、董允に反対されると即座に諦めた。

 →部下に反対されるとNOと言えない。更に、その場では流した事を後になって恨む事がある

・黄皓に、かつて信頼した董允の悪口を吹き込まれると、信用してしまう。

 →黄皓によって被害者意識を刺激されると、董允の事を恨み、董允の禁止していた事を行うようになる

・陳祗に忠候の諡号を贈る。

 →陳祗は能力や働きぶりはどうあれ、後主には阿諛追従し諫言したことは無い。

・陳祗、黄皓らが言うままに姜維を召還しようとしている

 →まるで成長していない。

237 :氏真 ◆rF3U/UzFSU :2007/08/14(火) 16:59:45 ID:GpUWuLe8O
竜善は有能すぎワロタ

238 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/14(火) 17:28:52 ID:YHvL858O0
>>233
まぁ初期は本物の名君なのに治世長いと(ryって例も結構あるし
そこそこの気概がある程度だとどうしてもね。

長い治世を上手くやるために必要な厳しく自己を律する才能はどう見てもない人だし。

239 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/21(火) 06:12:46 ID:8oMSJP980
白糸のごとき…と陳寿も語っているとおり、自我を強く持っていたとは思えない人だよね。

240 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 23:36:50 ID:xwpLA6BG0
仮に劉備が天下を統一していた場合、
太平の世を無難に治めたんだろうか劉禅

241 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/11(火) 01:48:33 ID:TqI4HdEd0
部下の能力に因るとしか言えんかと。腹黒いのが部下にいたら
あっさりと権限奪われて次代で簒奪されそうw

242 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/11(火) 02:38:07 ID:/cXO3aRP0
のわりには41年、反乱もなくみだらに処刑もせず、無難に収めていたわけで
まあ、実権がほとんどなかったような気がするけどね

243 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/11(火) 04:11:53 ID:jP7YTHjl0
仮に天下統一しても孔明-ショウエン-ひいラインなら安定期になるんじゃないかな
問題は劉禅の跡継ぎも揃って似たようなのばっかなのだよな

244 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/11(火) 20:12:27 ID:7PzFyVfS0
慣例を無視して劉ェが継げばいい

245 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/12(水) 02:08:31 ID:GSA+vDtR0
劉ェはあくまでほかのボンクラと比較してマシなだけであってたいした事はないと思う
国の滅亡に憂いてj指圧しただけだし

246 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/12(水) 18:31:57 ID:ffliaY2X0
>>245
憂国の指圧、想像したら笑えるな

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