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【三国志】呉総合スレ6

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/09(金) 19:30:47 ID:yfkLrjgU0
三国志の呉について語りましょう

前スレ
呉スレ(呉総合スレ5)
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1149533652/

過去ログ
呉総合スレ4
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1137933555/
呉総合スレ3
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1119352858/

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/09(金) 19:36:26 ID:Ua4bsNC2O
三国呉は晋とも被ってるし、なかなか面白い人物も多いし、この板に向いているかもな

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/09(金) 20:20:55 ID:nDuuuLZt0
孫晧はやる気だけはあるよな

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/09(金) 21:32:44 ID:0kkYnYXx0
>>1


>>3
確かに何とかしようというやる気は感じられる

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/09(金) 22:01:11 ID:cRpNuWVI0
孫皓って虐殺しすぎ

>>1
乙ンデレ



6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/10(土) 16:09:01 ID:TXjsHxJz0
http://ex21.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1169569789/131-
タイムリーに孫晧をやっているから紹介。

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/10(土) 22:16:47 ID:QSobJfyp0
陸坑は名将?

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/10(土) 22:52:39 ID:yY2Asv2m0
『江表伝』にある孫晧の直筆の手紙とやらは本物なのかねえ

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/10(土) 23:18:08 ID:6wNiHOgx0
>>7
名将で間違いないよ。

西陵戦は夷陵や赤壁より凄いと思うよ。
永安を取ろうとして羅憲に撃退されてるのは痛いが

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/11(日) 13:28:04 ID:vnsFJKBr0
10get!

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/12(月) 20:13:57 ID:vSTdy4cE0
早く調査結果が知りたいな

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/14(水) 15:39:56 ID:1OkmiEeA0
http://www.nicovideo.jp/watch?v=ut24gAnq_fy7k

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/16(金) 18:58:44 ID:3PbDTc/+0
董襲って何か扱われ方がマイナーじゃありませんか?

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/16(金) 19:05:39 ID:vPWidXGB0
板橋の駐在さんと被るな

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/17(土) 00:22:43 ID:Fe5lHDG20
溺死だからなあ。

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/17(土) 04:13:14 ID:p+LAQ71lO
でも主君を守りきって戦死っていうのは、魏だったら典韋とか男の本懐じゃないか?

蒋欽もそんなんだっけ?

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/19(月) 05:18:44 ID:fMQJ5ueO0
船に独り残って壮絶死だろ? 病死や討ち死により美談な気がする。
対魏・蜀戦線より異民族討伐が主任務だからマイナーなんじゃないか

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/19(月) 22:16:48 ID:LwIOimPP0
>対魏・蜀戦線より異民族討伐が主任務だからマイナーなんじゃないか

呉はそういう人物が多いね。賀斉やら呂岱やら

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/23(金) 06:14:31 ID:BQXm4Wq10
江南一の伊達男って孫策?甘寧?賀斉?

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/23(金) 09:39:02 ID:7IcGO2Fd0

甘寧はいい年こいた露出狂

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/27(火) 16:19:08 ID:Ne2OBOel0
董襲って厳白虎の配下だった時期もあるんだっけ

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/05(月) 19:27:42 ID:m7NVGS4V0
陳武でかすぎ

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/08(木) 20:42:37 ID:ZZ9OmNkL0
あらあらうふふ

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/09(金) 19:20:09 ID:C36wqssx0
でっかい孫呉です

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/09(金) 23:27:02 ID:D47oH57P0

アリシ:(;´゚ω ゚):. アッーーーーーーーー! さん

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/09(金) 23:42:08 ID:4otS58890
呉の時代は、江東に野生の象や水牛、
マチカネワニまで生息していたらしいな。

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/13(火) 15:35:27 ID:PHFMuFMZ0
孫権の趣味は虎狩り
孫呉の社長は代々青い目をした虎がやると決まっています

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/13(火) 20:53:15 ID:eQfniXT30
>>26
すげーな・・・・

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/21(水) 19:24:23 ID:upkkfPPg0
甘寧はザコ
孫策もザコ


30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/27(火) 22:17:54 ID:ZtyCdL9v0
>>28
意外に最近まで生きていた、絶滅動物は多い。
逆に言えば、人間が文明を発達させたこの最近数万年で、
大量絶滅が起きているということだな。

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/28(水) 09:56:26 ID:6z0zdvyJ0
メガテリウム、オオツノジカ、スミロドン(サーベルタイガー)、マンモス
みんな人間に狩られて絶滅したからな

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/28(水) 13:50:35 ID:/Q3AEqMq0
ほっといても絶滅しただろ そいつらは

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/04(水) 23:37:53 ID:fWYfI4Xy0
三国志二十四大英雄
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1175545567/


34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 09:19:12 ID:+BfwA/qI0
>>31
んなこたあない

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 14:04:13 ID:SardWWMq0
>>7-8 そういや今号の三国志マガジンで羅憲の漫画があって陸抗撃退されてた

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 21:12:17 ID:Ai3/AHWx0
(  ;ハ;)イイハナシアルー

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 06:25:43 ID:+4aSdkPOO
ある本ではたしか、孫皓のことを、「聡明なあまり国の実情と行く先に絶望し、そのため凶行に走った」って感じに書かれていたな


38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 11:12:17 ID:B+B+aB+P0
( ^ω^) またまたご冗談を

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/09(月) 08:58:04 ID:Bf/oj/4n0
「絶望し」と「そのため凶行に」が全く繋がらないのですが。

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/09(月) 17:12:09 ID:M2riN4e9O
「絶望した孫皓は自暴自棄になり、あのような凶行を行った」って感じか


41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/09(月) 20:18:32 ID:q4gm6j9S0
迷惑な話だ

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/11(水) 23:46:44 ID:VbWB9jFo0
呉の武将は山越と戦って出世する

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/12(木) 20:44:58 ID:tzv3XqLvO
対山越と言えば賀斉

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/12(木) 20:54:42 ID:+OlLV7KY0
劉備と同盟を結んだ頃の孫権軍団は、山越のせいでグタグタだったらしい
朱治がずっと呉郡の太守だったのも山越対策だったと思ってる

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/13(金) 09:21:11 ID:+0uD+bDW0
なるほど・・・・

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/13(金) 14:06:10 ID:3Xx3atfa0
鋼鉄三国志の陸遜
http://news.ameba.jp/2007/04/4219.php
動画OP
http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=195512

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/13(金) 14:27:12 ID:WHMNDUQo0
やっぱ赤壁の頃も同時に山越がやばかったのかな?

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/13(金) 19:34:45 ID:YDXR4OYv0
山越は侵略ではなく、略奪を行うタイプの異民族
明確な頭領がいないため、何度追い払っても沸いてくる

だからヤバイと言うより、慢性的に国力を削ぐ天災と言ったところじゃないかな

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/13(金) 23:27:44 ID:9LIWBsjk0
ゲームの蝗を思い出した・・・

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/14(土) 00:03:50 ID:+aYVnGTc0
50get!

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/15(日) 11:06:13 ID:u6nOquCr0
呉って微妙な奴か変な奴しかいない

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/19(木) 03:33:06 ID:qzPfLMuL0
孫権にあまり敬意を払わない人食ったような面白い人物が多い
虞翻とか魏トウとか張昭とか呉範劉惇趙達あたり

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/19(木) 13:28:25 ID:2MFY+b2f0
払う必要もなかったしな

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/19(木) 22:22:25 ID:qiAh49hp0
だがクーデターで途絶えないのが孫呉の面白いところ

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 01:14:52 ID:JycOKfVL0
>52 だから流刑にされたり機会を見て嫌味を言われたりするんだろ。
張昭はどうにも好きになれん。 まだ紘の方が・・・
孫策が縁のあったのって紘の方なのに、後事を託されたのが昭になったのは
単に近場にいなかったからって事で良いのかな。
まあ紘に託されたとしても昭より早く死んだしなあ

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 19:43:52 ID:E5U32n6y0
張昭の方が名声が高くて影響力があったからとか?

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 23:58:22 ID:MHKydp+j0
人脈とか、人格とか、孫権との相性とか、色々考えた結果だと思われ

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/21(土) 09:26:25 ID:HxRyUc+H0
呉っていうのは一応は孫権をトップとして掲げてはいるけど
実際は皆が孫権を半ばないがしろにして好き勝手やりまくりってのが面白いな

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/21(土) 23:25:05 ID:HmDfMQeQ0
力で豪族を抑えていたからそう見えるだけでしょ
他が漢の威光を利用していたし

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/22(日) 11:09:42 ID:Y/0BXFk60
ひょっとしたら、かなり絶妙なタイミングで左遷してたのかもな

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/22(日) 12:30:04 ID:Oe2SMgkc0
北方での「江南には妖怪がいる」と紹介された張昭は凄味があったな

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/22(日) 13:08:21 ID:k9V7n5mV0
近頃、董襲の風が吹いている気がしてるのは俺だけか?

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/22(日) 13:13:01 ID:UpfAOMqb0
孫権というのは自由を保障してくれる軽いトップ足らざるを得なかったんだろ。
ある意味では劉備以上にスタートラインで不利。

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/24(火) 04:59:30 ID:nc2dRdyU0
>62 董襲を死なせたような狂風が吹いているという意味か? 禿げ同。

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/03(木) 17:51:17 ID:vYod2zwc0
周瑜はあれだけ孫権(呉)に貢献してるのに、なんで諡がないのでしょうか?

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/03(木) 18:38:27 ID:qG2bdES+0
忠候でしょ。

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/04(金) 02:05:34 ID:5j0Fb23s0
たまには陸機についても語らないか?

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/04(金) 10:25:51 ID:I4oNEcRx0
>>66
周瑜伝に記載してありますか?

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/04(金) 13:31:41 ID:gWalmGSK0
>>68
魯粛、呂蒙、周瑜ともに正史には諡号の記載は無いよ。
孫権がつけなかったのか、当時から遺漏があったのか、陳寿がのせなかったのか、は謎。

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/04(金) 13:42:53 ID:INlVjL7S0
>>69
レスありがとうございます。
wikiには忠候と書かれていたのですが、周瑜伝見ても載ってなかったので
おかしいなぁと思い質問させていただきました。

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/04(金) 23:57:42 ID:ZqmMFhBW0
じゃあwikiの忠候ってどこからきたんだ。

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/05(土) 05:00:02 ID:+ii9aX+80
>>71
ttp://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E5%91%A8%E7%91%9C%E3%80%80%E8%AB%A1%E5%8F%B7&lr=
wiki編集した奴がここだけ調べて、
一次資料調べずに鵜呑みにしてパパーッと書いちゃったんじゃないかね。
ちなみに手元の三国演義の方でも忠候は確認できないが、絶対にどこにも載って無いとも言いきれない。
平話とか京劇なんかではついてるのかも。

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/05(土) 22:15:47 ID:b0SNPmBT0
周瑜の墓とか碑って残ってない?
あったらそこに表記でもしてあるのかも

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/05(土) 22:24:38 ID:+ii9aX+80
ttp://kankouha.cool.ne.jp/yiji/huazhong4.html
ttp://baike.baidu.com/view/33537.htm

ここで確認する限り、周瑜の墓にも諡号は記されて無いようだな。

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/06(日) 12:50:35 ID:Rb9SBTVm0
不思議だな

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/06(日) 12:54:11 ID:aH7QghUN0
ああ。世の中には分からない事が多いもんだな。

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/07(月) 00:37:53 ID:lhfFK7Pu0
忠侯だろ。

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/07(月) 02:20:50 ID:dUxcHd9KO
またWikiの嘘か

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/07(月) 19:08:27 ID:gk4q1DDL0
裴注にも見られないし謚号ないんだろ

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/07(月) 21:17:09 ID:e2qeR9OP0
おいおい

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/07(月) 21:53:28 ID:dUxcHd9KO
Wikiの三国時代のは迂濶に信じると痛い目見るよ
董承は二人いるとか嘘を堂々と書いてる

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/07(月) 23:09:10 ID:M5lOiHZD0
まぁ、おいおいで修正するけどね

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/08(火) 14:43:45 ID:VwIscsTI0
他にも間違ってたら直してちょ♥

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/08(火) 16:44:34 ID:jlb6Hrha0
526人分はきついぜw

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/08(火) 18:21:39 ID:LhCKjMePO
間違いだらけだもんな
何魏みたいに存在しない名前まであるし

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/08(火) 19:13:53 ID:jlb6Hrha0
せめて書式書体でも統一されてれば何とかなるんだがなぁ。

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 14:05:22 ID:PKp3FSvr0
周瑜!周瑜!!

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 09:01:18 ID:ANu1wqfa0
魯粛!魯粛!!

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 20:45:47 ID:ALab+u3j0
呂蒙!呂蒙!!

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 22:25:30 ID:xE8rMTaq0
長沙の木簡の分析まだー?

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 23:55:14 ID:xMl7m8Op0
陸遜!陸遜!

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/11(金) 00:54:26 ID:mK5Jn+Hx0
程普や朱然をスルーするおまいらにはほんとにもう。

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/11(金) 01:41:33 ID:TeIa5kps0
息子はいい
朱治について語ろう

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/11(金) 09:19:21 ID:3g6OnXUJ0
金持ち班
周瑜
魯粛
陸遜

貧乏班
呂蒙
潘璋
黄蓋


95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/11(金) 14:31:19 ID:9BBcpLdb0
>>94
金持ち班に全ソウも追加してやっておくれ

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/11(金) 15:00:23 ID:2ndZNCF30
金持ち班
周瑜
魯粛
陸遜
全j

貧乏班
呂蒙
潘璋
黄蓋
周泰



97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/16(水) 19:08:26 ID:qHYUUS0V0
朱家も金持ちだろ

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/17(木) 21:13:15 ID:sQfGr5rN0
>>81
三国志関連の項目は、中国語版より充実していそうな予感w

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/17(木) 21:19:25 ID:04VM0WHjO
項目はね…

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/19(土) 16:34:23 ID:ce87ohKG0
>>55
孫策が死んだ時、張紘は曹操の元に居たから
後事を託しようがないなで100ゲット

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 17:17:14 ID:oCCgYNFD0
張昭に後事を託したのは孫策じゃなくて孫策の母親じゃなかったっけ?

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/21(月) 17:40:06 ID:wpgDuemV0
孫策は項羽以上の英雄

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/24(木) 01:05:23 ID:1zdc+OXX0
上のほうで孫権の君主としての不安定さのレスがあるけど
呉の晩年は孫家のやりたい放題だよな
これも孫権の政治力か

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/24(木) 01:57:01 ID:l3hRI/+n0
家柄や名声だけなら孫一族以上の豪族がいたとして、
実際に孫呉で何が出来たってんだろう。 
クーデターを起こすとか、勢力として独立するとか。 どれも非現実的だと思う。

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/24(木) 14:28:22 ID:1S+biBut0
>>104
異民族や身内からもクーデターは相次いでても鎮圧できてるし
ひとつひとつの家は名声やある程度の権力はあっても
孫権のようにそれらをうまく統括できるほどの人物はいなかったって事だね

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/29(火) 07:40:38 ID:I0l00Lqd0
孔明に泣いて謝れクソども

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/29(火) 18:18:42 ID:g2NVS6ai0
孔明が三国志名将二十四選に選ばれなくてイライラしてるみたい(笑)

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/30(水) 22:36:07 ID:x2qrv1slO
呉は地元の豪族の影響力が強いとうけど、出世にも影響してるのかね。外様はなかなか上の位につけないとか。


大将軍まで登った諸葛謹みたいのもいるけど

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/30(水) 23:32:33 ID:9EBm4+0X0
歩シツ、呂岱、諸葛恪、滕胤なども高位に就いてる

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/02(土) 01:03:49 ID:iCp3xi4Z0
最近、ようやく正史読んでみようと思って図書館でちくま書房のを
ちびちび読んでいます。とっつきにくいかと思ってたら、おもしろいですね!
孫権のエピソードは笑えるのが多いですね。
張昭との大人気ないケンカには大笑いしてしまいました。

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/02(土) 08:29:19 ID:5RzUOuki0
正史の呉は演義での陰湿な姿と違って馬鹿話が多いw

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/02(土) 17:19:04 ID:yXwPpLg60
確かに一番ウケるのは呉書だね
俺は呉範や趙達の話しなんかが好きだな
孫権は占い事に興味があったみたいで優れた占いをする人に教えてくれって言うんだけど
教えると重用してくれなくなるのを恐れて誰も死ぬまで教えてくれなかったw

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/02(土) 20:37:22 ID:1NWM4wYY0
呉書見聞テラオモシロス

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/02(土) 21:49:46 ID:biVKT1ik0
面白い話はけっこうあるが個人的に朱桓のDQNっぷりに笑ってしまうw

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/02(土) 22:58:27 ID:Aihd4QcxO
>112 誰か一人にでも占いの秘訣を教えて貰ってたら
わざわざ聞いて回るわけ無いじゃない。

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 01:46:53 ID:QgGPIDKM0
>>114
アレはなんつうか……高機能障害っぽいな。

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 18:35:23 ID:yluWMHFd0
朱桓は人の下風にたつのを嫌うとか書いてるしなんか激しい性格だったみたいですね
朱桓が孫権の任命した指揮官である胡綜を殺したのに不問にした辺りは
才能ある人だったので惜しんだんだろうけど胡綜の親族とはトラブルはなかったんだろうかね

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 18:38:04 ID:QgGPIDKM0
>>117
あの一件で非が有るのは明らかに全ソウなんで、遺族が朱桓を…は無いと思う。

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 19:07:16 ID:piMIQzhq0
全ソウが胡綜に責任転嫁したため朱桓は胡綜をぬっ殺そうとしたが
実際に殺されたのは胡綜じゃなくて下役人か何かだったはず
そして気が狂ったと称して帰宅する朱桓。こんな上司嫌だw でも部下には慕われてたんだよな

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 19:27:20 ID:yluWMHFd0
>>119
すみません 勘違いしてました
確かめてみたら確かに全ソウの側近や副官を殺したとありました
部下や親族など自分に近い目下の者は大事にしたという辺りは関羽なんかとカブりますね
神経質な性格の持ち主だったんでしょうかね

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 21:16:54 ID:QgGPIDKM0
>>119
全ソウは都督として朱桓らを率いたが、期待通りの戦果を挙げられなかった。
処分される事を恐れた全ソウは、巻き返しを図り、不意打ち作戦を練り始める。
(当然、孫権からこんな命令は出されて無い)

朱桓は、元々気位が高く、指図を受けるのが嫌い。
その上、作戦も気に入らないのでやがて言い争いになる。
全ソウ、苦し紛れに「この方策をゴリ押ししてるのは参軍の胡綜なんだ」と責任転嫁。

朱桓、自陣に胡綜を呼びつけ、自ら剣を取ってぬっ殺そうとする。
しかし、兵士で包囲してたわけでは無いんで、逃げられる。
結果、胡綜の側近を斬殺。一連の行為を糾弾した側近も斬殺。気が狂ったと故郷に帰った。

こういう流れだよな。しかしこれ、朱桓の正確云々以前に全ソウの行動が…

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 21:33:38 ID:QgGPIDKM0
これ、参軍の胡綜に責任転嫁したのがミソなんだよな。
元々、胡綜は、この戦役において全ソウの参謀兼監軍として、孫権の肝いりで従軍していた。

つまり、全ソウの「胡綜の進言なのだ」は、朱桓に対して「これは上意なのだ」と使われた訳だ。
しかし、従軍している士官級は、「奇襲なんて予定に無かった」ってのは皆理解している。
というかそれ以前に、
大規模侵攻で既に敗れて後に、ゲリラ戦挑んで小利を得ようってのがそもオカシイ。
まともな思考能力が有るなら「上司の尻拭いに余計な戦を一つやる」というのはすぐ理解できる。

だから、朱桓が胡綜をぬっ殺そうとしてたのも
胡綜は、お上の威光をタテに、お上の軍を使って、自分達の尻拭いに利用する、悪臣である。
と、全ソウの言から考えた事が伺われる。

現に、朱桓の暗殺は、「他の誰の手も借りず、自ら手を下す」形で計画されていた。
これはつまり、お上の臣に手を付けたら、ただでは済まない」と理解していたからだと思われる。
殺した後で狂気を騙ったのは、責任逃れの為ではなく、組織的な暗殺ではなかった事の証明と、
胡綜が無実であり、暗殺に失敗した以上、
自分の正当性を主張するのは、孫権の威光に傷をつけることを理解していたからだと思われる。

朱桓は自分の兵の顔や出身を全て覚えていた。死んだ副官の遺族も手厚く保護されただろう。

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 22:35:02 ID:yluWMHFd0
これだけの事でそこまで推測できるみんなスゲーな

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 23:28:22 ID:nST97b0+0
>>121-122
なるほどー。面白い。

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/04(月) 05:27:00 ID:F3/DSnF70
>>100-101 孫策の遺言にもあったようだが、呉夫人からも遺言で後事を託されている。

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/07(木) 20:40:30 ID:x5d3bW9FO
叩かれる要素十分だな全ソウw

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 01:57:38 ID:pB3fZvEe0
全ソウは後継者問題で陸遜とも揉めてるし、孫魯班の暴走にも加担してるしな。

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 12:51:04 ID:xOb+fWBfO
全ソウのソウの字は簡単なくせに何故か変換出来ないしな

129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 14:46:26 ID:4VAHHxnK0
ソウはたしか【王宗】だよね
読めるかな?→N

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 21:40:44 ID:nIEoDFp50
全j

携帯電話からはどうだろうか?

131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 22:26:11 ID:gzDcjSiuO
>>130
緯の【王宗】の字が消えとります

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 05:17:46 ID:0Y2xMtm60
http://ex21.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1168680421/367-368
↑に加えるなら誰だろう?
とりあえず厳oと張承を入れて

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 20:16:12 ID:UZDqPXGk0
孟宗

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/27(水) 22:46:15 ID:f6JNL2b00
でも全j 王凌戦以外は中々の戦績

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/27(水) 23:11:21 ID:Z0oyuX2b0
全jの能力が優秀であることは疑わざるところである。

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/28(木) 10:26:10 ID:NrHngCRi0
歩蘭の評価はどうですか?

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/28(木) 19:18:26 ID:NtftDoGJ0
叔母さんが孫権最愛の愛人

138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/28(木) 22:02:54 ID:74/mUKlb0
>>136
歩協の弟

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/02(月) 16:56:17 ID:3crNiJp4O
本人評価してやれよーw

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/02(月) 19:58:50 ID:bLyGOEpK0
>>136
歩蘭なんて人、全く知りません。

歩闡なら知ってるけど。

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/08(日) 19:14:34 ID:ooTmsieH0
歩一族も
呉のおかげで発展したんだが…
最後は自業自得か

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/11(水) 00:49:55 ID:Jp/TlktW0
せっかく投降してくれた歩闡も即座に陸抗に討ち取られた事は
魏軍を少しは落胆させたんだろうか?

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/11(水) 01:11:11 ID:vYOBMH8U0
そもそも歩シツのころからおもっくそハンシュンに目を付けられまくってるしなぁ。

>>142
歩闡が討ち取られると撤退した訳だし、大いにガッカリだったのでは。

144 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 09:46:28 ID:gNMeRwAJO
呉がメイン、もしくわ呉好きでも楽しめる小説ってありますか?本来は質問スレで質問しなきゃいけないのはわかってるんですが、呉に詳しい・呉が好きな人の視点でのレスが欲しかったので敢えて質問させて頂きました。ごめんなさい。

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/31(火) 06:25:26 ID:gMFOb6qn0
>>144
閑話休題――

あ、いや、なんでもない

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/09(木) 19:30:37 ID:DUQhINrNO
>>145
ハードカバーで大人買いしてしまったorz

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/11(土) 22:18:33 ID:8DuTQfcOO
ご愁傷様です

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 20:29:08 ID:BQ+xFNGx0
>>146
一生モノの宝物じゃないか

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/18(土) 02:01:32 ID:XK4x+kli0
自分もつい先日文庫古本だけど10冊セットで買ったばかりorz
もっと皆正直に言おうぜ。他の犠牲者を出さないために…

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/19(日) 01:40:01 ID:5YZjLQHH0
呉におけるそれぞれの都市の様子、人口などが気にかかる。

南方は開発が遅れていたけど、都市の発達状況はどんな感じだったのか。

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/21(火) 17:10:36 ID:XtGu1pB40
晋書の地理志が参考になるな。 三國志にはないし。

晋書の記載だと州レベルで最高が司州(洛陽周辺?)が48万 
中原は細かく州に分かれてる上に司隷単体だけで48万。
これに肥沃な華北がさらに加算される。

呉は揚州になるのかな。31万。だが北岸以上は領土じゃないから揚州
としてはもっと引いて考えるべきかも。

益州は14万。荊州35万。
蜀が200%勝てない理由は明白だな。  徐州と青洲足したのと変わらん。
交州は2万なんだけどこれは人口把握ができてないんだろう。

南北が完全に逆転するのは明あたりまで待たないといけない。
実際それ以前は、南から北伐はほとんど失敗or1時奪取 即効維持不能に
なっているし南側もそれが分かってる。

事実上、中原が乱れようが国力的には呉が魏なり秦なり前趙なりを打倒
できる可能性は0だと言うしかない。 あと何百年も永続すれば勝てる・・・


152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/21(火) 17:53:08 ID:BUHMRzH60
そこまで差があると、もう魏にしてみれば蜀なんて辺境軍閥って程度やね
蟻と象って比較も大袈裟じゃないのかも

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/21(火) 20:35:14 ID:/JyioZzk0
ここでも主役は魏と蜀か

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/23(木) 14:54:05 ID:gf9hhut80
結局、呉の相手の隙を見て攻撃が一番有効じゃん

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/23(木) 17:34:39 ID:zGyZBPOE0
つーか一時攻撃しても人さらいしても、向こうが圧倒的に強いのでトータル
損失ペイオフできんから、結局戦うだけ無駄だな。
ベトナム方面か山越を完璧に抑えたほうがいいんじゃないのかな。

捨て身の攻撃とかしなかった孫権は、攻めろって言っても俺ら無理だろって
そこら辺わかってたんだろう。

開発が華北に勝つまでは保守こそ南朝政権の最強体制。 北欧でも騎射
は最強だったが、海じゃ騎射できんからな。
南側は守備サイドだと、相手が強かろうが異民族だろうが大勝可能。
攻めると国内突き上げとかで結局弱体化する。

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/23(木) 19:07:33 ID:whJPwFTL0
その孫権シフトって結局近代戦が確立するまで誰も打破できなかったんだよな…

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 13:22:53 ID:DrHwS8Ub0
呉に外征に長けた将軍っていなかったの?

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 14:38:50 ID:iLYqfTzr0
>>155
>ベトナム方面
そこで呂岱はもっと評価されていい人物と思う。


159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 18:02:20 ID:6M6g9hU10
外征の成果があんまないからなぁ。

しかし攻めるにしても合肥方面にこだわった理由はなんだろう。

後の時代の北vs南でも、ほとんど、赤壁ルート、合肥ルートの2点に
限定されている。なぜかは分からんが地形的に理由があるんだろう。

つまりこの2点さえ抜かれなければ、どんなに横に距離があろうと防衛線
に必要な兵力は2点ピンポイントに絞る事が出来る。

がこれは守る側であって攻めあがるには、魏や呉が存在してた時代の西晋
の国力差からしてここから北伐成功はほぼ無理だろう。

北へ攻めるなら、成功例のある荊州からのほうがいいと思うんだけど
(呉も攻めて失敗してるが) 

その場合襄陽を取ってそこが南側の今後の防衛拠点になるんだが守りにくい
上取られたら、一気になし崩しパターンになるので避けたんだろうか。

国力差から勝つためには呉側は、多大な消耗を掛けて戦う必要がある
敗戦は滅亡につながり兼ねないし、結局 無理だな。
引きこもり戦略しかない。

160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/13(木) 09:18:06 ID:CnSPSLAq0
蜀は諸葛亮の南征、とりわけ孟獲の逸話が有名すぎるほどだけど、
呉の方の辺境部の平定過程は華々しくないこともあって、
あまり知られていないな。

161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/13(木) 10:25:26 ID:99PnvmYP0
>>159
合肥は建業にとって喉元に突きつけられた匕首のようなモン。
長江にいたる大きな支流を付近に持つ大都市の中では最も東端に有ったから。
もし、魏側が合肥を失えば、海から建業を攻めねばならず、江南進出は事実上不可能となる。

逆に言えば合肥さえ確保すれば、呉は江南の主力を全て外征に向けることも可能だった。

162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/13(木) 13:35:58 ID:7zS/B6Rp0
>>161
付け加えると、合肥を失うと魏は徐、豫州二州の防衛を合肥という「点」ではなく
州規模の「面」での防衛を強いられるようになり負担が激増する。
一方、呉は合肥−濡須−建業とのラインが確保されより一層、防衛が厚くなり安定する。

163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/14(金) 23:08:48 ID:MP7yDM+/0
建業(後の建康)って、後の南北朝時代を見ても思うけど、
北を長江によって守られた要衝とは言え、
長江の北側を制されたら、目の前まで脅威が迫ってしまうんだよね。

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/16(日) 09:38:01 ID:MQRtLb5Q0
支配者育成にはいいんでないかい
緊張感ありそうだし

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 22:44:30 ID:2DheI2J10
>>163
実際、建康(金陵、南京)って直接攻められると、かなり陥落しているんだよね。
侯景の乱とか、隋の陳征伐とか、太平天国の乱とか……

南宋もその辺を考慮して、杭州に都を置いたわけだし。

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 15:02:36 ID:CFdq8mmK0
南京てヤバイほど隣接してるな。それだけ揚子江がでかいんだろう
が・・

合肥は揚子江〜歩いて北上〜巣湖〜歩いて北上みたいな
位置だけど、ここが大軍でも落とせなかった(合肥新城以前程度)理由
はなんだろう。 地形的に陸戦で敵地に入るから? 現地着くまでに
時間稼がれるからなんだろうか。 孫権が下手糞というのはそうだけどさ。
孫権どういうルートで攻めたんだろ。 上の巣湖へ向かっていったのか、
直接健康から北上してワイ南の東から攻めたのか。
合肥つってもかなり広いな。

167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/19(水) 23:57:51 ID:/zeWZZPi0
王城の地とか言われるわりには、防衛面で意外と脆弱なんだよね、南京。
鄭成功の軍の撃退なんかには成功したけど。

ちなみに日本軍も南京城を攻略した実績があるw

168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/20(木) 04:52:47 ID:KovWsCYz0
鄭成功撃退に関しては、鄭成功が人道主義者の阿呆の子だったので…
甘輝の進言を聞き入れてセオリー通りに攻撃してたら落ちていた。
やはり南京は防衛面で脆弱。

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/20(木) 14:08:22 ID:lB7+/Wsz0
防衛面で弱い首都ならそりゃ以北カバーしないと厳しいな。
そういえば魯粛が巣湖に勢力をもつ鄭某を、劉曄のコネで仕官勧められた
が周瑜が〜〜てあるけどこの鄭某て何者? 
曹操に仕官せぇじゃなくて、鄭某を推薦したのが少し不思議だ。
孫権が立ったばかりの頃のあの辺てどういう勢力状況なんだろ。

170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/20(木) 14:52:55 ID:qYAkY5y60
一応、長江があるから、それによって必ずしも防衛面が脆弱なわけじゃないと思う。

ただ、敵軍の長江渡航を阻止するのが前提なわけで、
一度渡られてしまうと、後はかなり脆い。

特に東晋建国時の金陵ってろくな城壁がなかったらしいし、
呉の時代だって城壁はかなりお粗末なものだったんじゃないの?

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/22(土) 23:45:48 ID:ya+PITE50
蜀って盆地だから、結構小ぢんまりとまとまった感じがするんだけど、
呉は、揚州から荊州まで、領土がかなり広い範囲にまたがっている感じがするね。


172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/23(日) 15:40:05 ID:0+gbwaSr0
>>169
鄭某 = 鄭宝

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/23(日) 23:43:25 ID:XyPvIR/P0
長江の水軍の話はよく聞くけど、
海上での水軍の活動はどうだったんだろうか?

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/23(日) 23:53:19 ID:CU8TJ0tf0
海戦の必要がないからほとんどないんじゃない
一応遼東に船団送ってるから全くないわけでもなさそうだけど

175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/24(月) 22:20:26 ID:Hwaz+H6x0
呉の勇将(卑賤、寒門系)て2代目はほんと重用されないな。

甘寧(普通くらいの寒門?息子は武将らしいが特記事項なし)
周泰(卑賤、周平だっけ?特記事項なし)
黄蓋(よくわからんが寒門叩きあげだろう、2代目名前忘れたが特記なし)
程普(よくわからんが高いはずはない。筆頭武官にして2代目特記事項なし)
陳武(例外的に2代目がそれなりに)
潘璋(卑賤、寒門出自のはず。2代目は不明。兵士には親父の恨みを引き継ぎ
  さぞ恨まれただろう)
呂蒙(卑賤。息子はいるがそれだけしか不明)
蒋欽(↑に同じ)
韓当(韓綜が亡命という珍事に)

俺が彼らの息子世代の武官だったらすげー将来不安なんだが。
がんばって成り上がっても家が栄える保障0みたいじゃん。まったく
1代で功績立てれば呉の武の家柄として重用する気配なし。

寒門から家として重用されるには外戚はいるか、出自で県令出身とか
それなりでも豪族とかじゃないとダメって感じがする。

豪族抑制のために、孫呉オリジナル武家みたいなの作るってのはダメ
なんだろうか・・ 反感買うのかな・・

少なくとも↑の連中みたいなのが新世代で育つ環境とは言えないんじゃない
か・・

176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/24(月) 22:59:49 ID:flebXDU+0
>>175
凌統が2代目じゃね?ちょっと世代がずれるけど。さほど良い家でもなさそう
その息子は孫権に育てられたのに重用されてないけど

呉に限らずほとんどの場合2代目は1代目を超えてないと思う
苦労する時代には才能があれば身分を越えて出世しやすいとか、苦労した奴は強いってことかと

177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/25(火) 01:40:00 ID:ViGH/cSO0
重用されたされてない、というより、記述が無いだけでは?
タイシジの息子のタイシキョウは呉郡を治めていたけど
史書じゃ影が薄い

凌統の場合、親父の凌操も激動の時代で先鋒を務めたぐらい
活躍していたから、もうちっと詳しく書かれても?と思うが
息子の方が孫権がらみで活躍したからそっち重視なのかなという


ちと気になったのが、呉の二代目って罪を犯して失脚してる奴多くないか
豪族達が手をまわしたとかありそうだな
ちょっと昼ドラだが

178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/25(火) 01:40:45 ID:ih0ESfSe0
>>175
甘寧の家は秦の丞相、甘茂の子孫で、甘寧の子である甘述が尚書。
述の子、昌が太子太傅。
と晋書の甘卓伝にある。ちなみに甘卓は甘寧の曾孫。

179 :175:2007/09/25(火) 03:02:51 ID:lgu0he5g0
へ〜若い頃の俺様甘寧が役人やってたからそれなりの家かなと思って
たけどそうなんだ〜 晋で地位についた呉出身者は顧とか賀とか豪族
が多いと思ってたけど甘寧の子孫もがんばっていたんだ。
何気に勝ち組だな甘寧。

180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/25(火) 13:09:39 ID:tuOkLu8y0
戦いなどがあるので、ある程度実力主義的な人材登用は仕方ないものの、
基本的に豪族の連合体政権としての基本は揺るがせない。

181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/25(火) 13:39:29 ID:4YRhcJgQ0
>>175
程咨、黄柄は親父の功績で爵位与えられてる。
韓綜の無法も、孫権自身は親父の功績に免じてとがめなかった。
韓綜が勝手に疑心暗鬼で寝返り。
蒋壱は、短い期間だが、軍を率いて活躍。
周ショウも、記述はわずかだが、戦功をあげ出世してる。
陳表の記述量は父親以上。裴松之に父をしのぐと評される。
董襲は、子は不明なれど、遺族に手厚い援助。
徐蓋は爵位を継ぎ、軍を預かってる。

ほとんどが、功臣の子として優遇されてると思うけどなあ。
そっからさらに頭角をあらわすかは実力しだいじゃない。
陳表みたいな実例もあるんだし。
「家が栄える保障0」とか「武の家柄として重用する気配なし」
なんてようにはとてもみえないのだが。

武臣の子の記述がたいしてないなんて、魏書や蜀書でもざらだし。
何も呉に限ったことじゃない。

182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/25(火) 20:43:10 ID:ZPvAYltw0
逆に呉以外でも、初代が武で頭角を現して、二代目以降も栄えた家系とかってあるかね。

183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/25(火) 21:24:12 ID:4YN5uzOT0
基本的に元からお偉方の話だからな
ところで武限定なのか?

184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/25(火) 21:37:11 ID:SBCoGRgh0
劉馥の一族は、劉靖、劉弘と武門において超優秀だったな。
また、王昶→王渾→王済の太原王氏も栄えた。
文欽、文鴦親子も2代で絶えたとはいえ欠かせざる所だろう。

蜀は入蜀後、悲惨なまでに軍人が育っておらんね。
霍峻・霍弋と、羅憲・羅尚親子くらいじゃないだろうか。

185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/26(水) 14:10:01 ID:i3NH3eWh0
>>177
> ちと気になったのが、呉の二代目って罪を犯して失脚してる奴多くないか
> 豪族達が手をまわしたとかありそうだな
が気になる。豪族か宦官か。いずれにしても興味深い

186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/26(水) 15:24:10 ID:s3CPMEny0
そもそも、呉は呂壱の一件や、二宮事件あたりから、
ずっと内部での激しい政争が絶えないから、
必然的に二代目世代がそれに巻き込まれてしまう。
宗室からして、その世代はかなり酷い有様だから。

187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/26(水) 16:07:39 ID:vQd92LbC0
一代目が寒門だった二代目なんかは
バックボーンが弱いから叩き易い
自陣営につけても余り旨味が無いだろう。

むしろ、建国に貢献したそのような一族は
それらの経歴からして古くからの豪族達を脅かす
新派になる可能性があるから、さっさと潰しておく方が良いよ。

188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/26(水) 18:48:09 ID:5jKj0j3Z0
そういう連中は、陸氏とツルんでおくとかそういう展開が必要なのかな
やっぱ。

スレ関係ないけど羅尚は、将軍としては割りとヤるのかもしれんけど
出来のいい子孫とは個人的には言えん気がするな。
羅憲に比較するとだけど。

189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/26(水) 20:31:35 ID:s3CPMEny0
>>187
で、寒門出身の功臣の二代目が、
そんな感じで実際に豪族たちから目をつけられ、潰された実例、
呉に限らなくてもいいから、三国時代にどれくらいあるの?

呉の場合でも、俺は>>181で個々の例を挙げて>>175に反論したが、
基本的に功臣の子として優遇されてるように思えるが。
そして、バックボーンが弱い故に、過ぎた地位に上ることも少なく、
むしろ、そうした政争に巻き込まれるケースが少ないようにさえ思える。

190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/26(水) 21:09:42 ID:5jKj0j3Z0
親父の最終職歴、潘璋(右将軍?) 周泰(奮威?) 程普(盪寇?)
韓当(虎威)、黄蓋(なんと偏将軍か?) 呂蒙(横野?呉オリジナルか?)

と見ると潘璋、呂蒙(?)>程普、周泰>韓当>黄蓋
という感じかな。死亡時期が影響するので一概には評価は出来んけど、
親父の官位自体はそんなに高くないと言える(孫権自体が昔ほどショボイ
官位なので)
孫権の官位と相対評価そればみなそれなりに優遇されていたと言えると
思う(韓当黄蓋はちょっと・・)

ただ息子連中が優遇されたとは言えんと思うな。手当てが厚いとか
優遇とは言えん。むしろ孫権が何もしないほうが問題だ。

程普、黄蓋の息子の爵位が親父を引き継いだ程度のものなら、低い
爵位になる。 軍を率いたのが優遇と直結するのか? 
具体的な記述が少ない事がすでに物語っていると思うけど。

基本的に、晋まで重きを成した顧、賀、虞、諸葛(?)、陸とかと比べると
かなり差があるね。 
吾粲とか見てると出る杭は打たれるつーかそういう空気がありそうw   


191 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/27(木) 00:03:51 ID:cSy3paip0
他国ではどうなわけ?
例えば張飛はどう考えても高い身分とは思えんが、
れっきとした蜀の外戚だし。

192 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/27(木) 03:14:33 ID:BxYGvJOF0
>>190
死亡時期が全然違う者を、最終的な官職を基準に
不等号で序列しても、なんの意味も無いと思うが。
むしろ誤ったイメージを植え付けるだけ。
あと、漢制の序列は、九品官人法の序列とイコールじゃないからね。
黄蓋の扱いが悪いというのなら、黄蓋死亡時の孫権の地位と
他の主な武官の地位で比較すべき。

193 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/27(木) 03:29:33 ID:BxYGvJOF0
本題に戻ると、>>190は「優遇」という言葉に過剰に反応してるね。
中央で大臣クラスや外戚として権勢を振るったり、地方で一方面の司令官となる
くらいの出世をしなければ、優遇と認めないというなら、その言葉は撤回するわ。

だが、寒門出身の武官の功臣の子としては、まあ普通の扱いなんじゃない。
父の功績を認められ、それなりの地位や処遇が与えられてるわけだから。
それを、優遇ととるか、認めないかはおいといて、
>>175>>187が主張するように、特別目の仇にされたり虐げ抑圧された印象は受けないのだが。
>>189で具体的なケースの提示をお願いしたが、
まだ一例も出されていないし。

>>192の指摘も含め、もう少し説得力のある実例をもとに話を進めてもらわないと
自分の印象と思い込みだけで決めつけてるように思える。

194 :国重高暁 ◆takawYpCqc :2007/09/27(木) 15:02:12 ID:L1h/npFr0
三国演義の第八十五回(劉備崩御のくだり)を
読んでみたら、朱桓の年齢が数えの二十七と
なっていました。
彼、実際には数えの四十六だったはずなのに
……十九歳も若く設定されてるんですね(@_@)

195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/27(木) 18:43:16 ID:/wqP4Tlp0
元々の記述が少ないのだから、他の時代ではどうなのか、情報が入手しやすい現代ではどうなのか
を調べて自論を立てる

人なんて、いつの時代でも同じ様なことやっとるからな
あまり関係ないが・・・こいつの世渡りは今の所成功しとる
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E8%B3%80%E8%AA%A0
福田支持のくせに麻生をボンボン扱いして国政は任せられない、なんてボケた発言は
歴史に残らないんだろうな・・・orz

建国の功臣達は粛清されるのがよくあることだったから、自分でさっさと辞めた人もいた
名前ど忘れしたけど賢い選択だと賞賛されてたはず??
統治者が疑心暗鬼になる、周囲の豪族がうるさい、本人が調子に乗る、他国が息をかけてくるなど理由は様々
お国の為にと叫ぶ者と、地元でどのように家を繁栄させ権力を拡大していくかを重視する者。
統治者は○家のみと誓う者と、自分を重用してくれる人がいい者。
前者と後者、どちらを優遇すれば、国がまとまるだろうか。

政治は国興しの外向勢力より、地元の豪族などの定着した内向勢力に任せておいた方が、国内が纏まり、各々の指針となりやすい。例:公明党の集票力(怖)特例:町内だけ任せたい共産党
豪族らを重用しなかったら、国内の結束は弱まり、余力のある潜在的な敵を作ることになる
つまり小沢一郎のような売国奴ですな、本当の敵は国内にいるわけで
だから各国の統治者が豪族マンセー、成り上がり者共の子孫は突出した才能以外スルー、なのもしょうがない事(陳表などは二代目だからではなく、個の才能によるものだろう)
孫権は上手い事やってたと思う、途中までは・・・
歴史書に残ってる人は大体数多ある家臣達の中の数人だから、優遇、冷遇の判断材料になりうるかは疑問ですな、重要人物なのに書き忘れられてる人もいるから困る

二代目に兵を返し名誉を与えるのは体裁を整える行為
でないと他の才能ある成り上がり者共がやる気を失う
パフォーマンスの一種かつ、忠誠を確保して置く為でもあったのだろう
素直に父親の功績を認めているってのもあるだろう
だがあまりやり過ぎると周囲が面白くないのも事実
古い風と新しい風は交わり難い

ソース
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B9

>>191
張飛の身分が高くないとか・・・、その自論に達した理由を教えてくれ

>>194
演義じゃ何回も死んでる奴がおるし

196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/27(木) 21:04:56 ID:zeZ/gdpk0
なにが論点なのかわからんけどw

歴史って意味なら三国の魏呉蜀は多かれ少なかれ後漢の後だし、
豪族(貴族)は六朝から隋、唐まで幅を利かせてたけど宋以降は豪族の
権力事情は全く変わるぞ。

豪族らを重用しなかったら、国内の結束は弱まり、余力のある潜在的な敵を作ることになる

これが適用できる時代は限られるよ。
むしろ豪族政権の光武帝でさえ、豪族を国内の結束と潜在的な〜とは
まったく逆の発想で扱っていたんだけど・・

197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/27(木) 21:14:13 ID:iNuF7Q5f0
丁奉の死後、讒言され一族が冷遇されたのは謀略に参加した事によって
位人臣を極めたからだったのかな?

198 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/27(木) 22:15:07 ID:2Jua2V070
丁奉伝に、位が高まるにつれ、功績を傘にきて横暴なふるまいをするようになった。
これを憎まれて…とはっきり書いてあるやん

199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/27(木) 23:15:15 ID:Gp9DIfoL0
江東あたりの辺境でも、県にそれなりの城壁はあったのかな?


200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/27(木) 23:58:04 ID:/wqP4Tlp0
光武帝は豪族フル活用してたと思うが
(己の敵にまわったり、治安を乱す奴は罰せられて当然)
宋以降はもう時代の流れとしか言いようがなくね

201 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/28(金) 19:35:07 ID:ADpq5SxZ0
>>199
城壁ないと山越に好き放題に荒らされまくるぞ

202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/28(金) 21:11:57 ID:ketb9J/s0
中原でも小さな県城とかの場合、城壁は石積みではなく土を盛ったものが結構あったようだし、
湿気の多い江南の水郷地帯の場合、城壁よりも堀を巡らした方が効果的なのでは?

203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/28(金) 21:30:02 ID:4ehSWEsS0
なんか中国の歴史映画見たとき(時代は明くらい?)、少数で篭城するぜ!
ってなってたんだけどすんごい城壁が頼りなかったなw

乾燥した土って感じで高さは3mくらいかな・・軽く登れます。
実際は小城はあんなもんなのかな〜と思ってみてたw
でも篭城戦て嫌だよなぁ〜・・・俺味方情報土産に即脱走するね。

204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/28(金) 22:00:07 ID:4ehSWEsS0
あ・・あと蜀の剣閣見たけどあれはヤバイね!すげぇトコに作ってる。

映画の城は平地だったけど中国の城って平地のほうが防御に向いてるのかな?
視界がいいし俺みたいな脱走兵は即射殺できるし。
剣閣はすごい要害のオーラ出てたけど両側の山から奇襲とかされそうだし
木や岩が多くて視界が悪そうだったよ。敵兵が隠れて近づきやすいというか。

205 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/28(金) 22:05:34 ID:71V6e7Wa0
>>203-204
その映画ってヘブン・アンド・アースか MUSA-武士- かなんかかな?

>俺みたいな脱走兵は即射殺できるし
wwwwwwww

206 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/29(土) 15:42:20 ID:sQIdlzVj0
呉宇森(ジョン・ウー)監督の新作映画『赤壁(レッド・クリフ)』の撮影が快調に進む中、
このほど、ヒロインを演じる台湾の人気モデル、林志玲(リン・チーリン)の出演シーンが
公開された。28日付中国新聞社電が伝えた。

三国志を題材にしたこの作品は、チーリン演じる小喬が、曹操が戦いに出ないよう命がけ
で説得する。このシーンで彼女は涙を流し、迫真の演技を披露。その演技力は、
他の出演者や監督も目を見張るほどのものだったという。

チーリンは、この作品への出演には相当気合を入れており、
役作りのために3キロ減量して撮影に望んだ。アカデミー賞美術賞を受賞した
衣装デザイナー、葉錦添(ティン・イップ)の衣装をまとった彼女は、幾分ほっそりしたもの
の、さらに優美な魅力が加わり新たな一面を見せた。

http://news.searchina.ne.jp/2007/0928/entertainment_0928_001.jpg

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2007&d=0928&f=entertainment_0928_001.shtml




ストーリィに若干不安があるようだけど、楽しみだな
レッド・クリフの呼び名は新しい気がする

207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/29(土) 16:11:49 ID:vZkpS9Pu0
>>206
小喬役の人?めちゃめちゃ綺麗!!!

208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 15:24:00 ID:KADQfKxI0
小喬役は美人に限りますな

209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 22:04:52 ID:JG3fIDTo0
赤壁映画は、わりと史実重視、派手さ控え目にするみたいだね。
小喬ももっと華やかにするのかと思っていたけど、わりと落ち着いた造形だし。
http://cimg2.163.com/ent/2007/9/28/2007092811344536fc4.jpg
http://cimg2.163.com/ent/2007/9/27/20070927203325b5019.jpg

210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 22:05:50 ID:JG3fIDTo0
ちなみに11月頃に撮影に入る予定らしいドラマ三国演義の方は、
衣装設計を見るに、かなり派手なものになりそうだけどw

211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/01(月) 15:02:12 ID:lIjTFCWk0
>>203-204
当時の城壁は粘土を押し固めただけの代物だしね。
また、元々村や町を囲うようにして出来ているのが向こうの城だから、
当然のように防御よりも居住性を重視している。
剣閣も、三国志当時のものと現在のものでは外観も、恐らくは場所すらも違うと思う。

212 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/01(月) 18:33:19 ID:yWQc5pFBO
呉って豪族の力の強い、豪族連合政権みたいな言い方をされることもあるけど、ホントなの?
そんなに力を持ってる豪族もいない気がするんだが…
私兵やら部曲を世襲させるのは呉楚の慣習としてもあったのかも知れないけど、
豪族の力が君主にせまっていたとも思えない…
寒門出身者、華北出身者も権力の中枢に食い込んでるし、
本当に豪族がそんなにハバをきかせていたんだろうか

213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/01(月) 19:22:56 ID:Fv2yfPjG0
呉の豪族せいぜい田舎の地主程度だが孫家がそれ以下の貧民だったってだけ

214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/01(月) 20:01:20 ID:ri4ltz7p0
>>209
全身図だと微妙に見えるなチーリン

215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/01(月) 20:08:53 ID:ri4ltz7p0
孫家と諸葛亮は朝鮮人説があったな

216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/01(月) 20:09:17 ID:i4/PQgtB0
実際は演義みたいにその土地を治めている人間がすべてを牛耳ってた訳じゃなくて
豪族と利益を分けあって統治してたんだけど
受け継いだ当時の孫権は兄や父のように勢いがあった訳でも
名声があった訳でもないし地位も低かったから
なんとかうまくまわせるように地元の名士などに気をつかってたんだと思う
それとひとつひとつの豪族はさすがに孫権の軍閥に敵わなかっただろうけど
すべての豪族を敵に回して運営できるほど財力も軍事力もなかったしね
まあこれはどの地域でもいえることだろうけど
揚州あたりは名目上孫権のものだったけど配下は好き勝手やるし
反乱は起こるし、いろいろ腐心してる孫権の姿を想像したら泣ける

217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/01(月) 20:56:19 ID:UkhA1O2F0
歩シツなんかは、募兵するのを警戒されたり、
二宮の変では孫覇方について裴松之に貶されたり、
なんか勝手に豪族あがりかと思ってたけど、
徐州から疎開してきた貧民(苦学生?)なんだよね?
とすると、呉では地域地域で豪族の力が強かった…
…それは政権中枢に豪族が食い込んできていたということではない。
そういうことなのか?

218 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/01(月) 23:30:20 ID:k8iUrif70
呉は三国の中で皇帝(一族含む)が一番好き放題してる気がする。
そして大体国政が悪化していくが…

219 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/02(火) 00:18:18 ID:D2W6mL2t0
あえて孫堅から数えると

初代:世紀末覇者
次代:花火のような男
三代:アル中
四代:幼帝
五代:文字狂い
六代:血の気の多い若帝

すげぇなwww

220 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/02(火) 00:30:40 ID:ytgKfyOH0
>>219
堅シロウwwwwwwwwwwww

221 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/02(火) 03:50:03 ID:TdTwM4UZ0
>211 でも版築ってけっこう固くなるんだぞ。それが現代まで残ってるわけだし

>217 歩隲は外戚(正確な言い方じゃないか)でもあったからな。出世に影響したと見るのが良いか

222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/02(火) 13:41:14 ID:4/ARwN8n0
孫権期序盤以降は俺は言うほど(宋までは貴族荘園豪族がある程度力が
あるのは当然として)、豪族が孫の財力や軍事力を押してるとは思えないな
ぁ。
出世に近いという意味では出自と押し出しが異常に重要なこの時代
を考えればそれ以外に比べ有利なのは当然なので人数比としてはそう
なるし・・

中盤以降はむしろ孫権は自分の意思で動いてる感じだし豪族のご機嫌伺い
もあまり考えてないような感じ。国政に甚大な影響力てのは無くて、
案外孫権期、呉て君主権あったんじゃないの。

豪族の援助が必要だった完全開拓期堅策の時がピークって感じで。
中原の方向が貴族中心にシフトしてる中で孫呉時代って比較するとそういう
空気薄そうだし・・


223 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/02(火) 17:41:19 ID:7KK311OJ0
>>221
>>211の「当時の城壁は粘土を押し固めただけの代物」は、
>>203の「乾燥した土って感じ」に対応してる。
しかし、保存しなくとも漢やそれ以前の時代の(長城)が残ってるぐらいだから凄いもんだよね。
気候的な部分も大きいが、日本だとあってもすぐ農地や宅地で潰されるからなぁ。
市長が花見がしたいって理由だけで貴重な遺跡潰すぐらいだし。

>>222
魏に臣従して高い官位貰った以降は土着豪族に気兼ねなく行動できたろうね。

224 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/02(火) 22:06:18 ID:KYyrQgYo0
この時代、戦の時の指揮官ってどの位置にいたんだろ
まあ先陣切って敵にぶつかるような事はあんまりなかっただろうけど
軍の中枢にいて指令してたのかな?それともやっぱ後方だったのかな
個人武勇よりもそういう統率力がある軍人がいい軍人ってされたのだろうか

225 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/03(水) 01:08:59 ID:FIvjLrXV0
大将は中軍にいるのが普通だろうから先頭にはいないんじゃないかな。
春秋戦国あたりは戦闘中に王が補足されそうになったりしてるし、前線
で戦う意味はあったぽいね。戦争がまだいろんな意味で穏やかて部分も
あったからかもしれんけど。

後漢くらいまでは先頭に立って個人武勇を見せる指揮官の影響力は軍の
強さにかなり影響したみたいだな。 

時代が進むとそういう風は少なくなるね。三国時代はまだその名残が
残りつつ晋に近づくにつれ少なくなってそう。
杜預みたいな個人武勇は0だが指揮能力型へシフトみたいな。

国運かけた大戦とかは後の時代でも先鋒を君主がやることはないにしろ
総司令官として出撃はする。たまに捕まったり殺されてるけど。

226 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/03(水) 01:31:52 ID:D47wev9y0
夏侯淵は曹操にあんまり前に出るなって言われてるから
普通はそういう事はしないモンだったんだろうとは想像できるね
ただ指揮する人間に煽られても頼りない将軍だったら
兵士たちが率先して戦いに行ったのかどうかは疑問
その人のタイプにもよるだろうけど序盤などはある程度は
実際に戦闘に参加してたんじゃないかなって想像したりもする

227 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 11:30:43 ID:nHK3mbst0
>>219
そういうのは悪いほうで特徴的なところを言ってるんだから当たり前。
同じようなことを魏でも蜀でもできるぞ。

228 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 16:06:13 ID:n9C+D1uv0
この時期の江南の経済力て具体的にどんなもんだったんだろ。
隋唐あたりになると華北を上回るけど。

元が江南の塩、茶の専売で多大な利益だしてたことから江南は有数の生産地
だったんだろう。生活に利用目的が多いAlK(SO4)2も華南が産地らしいし。

塩は昔から重要な意味を持ってるからこれの生産力が高い呉て想像以上に
経済力あったのかな。呉の経済農業政策てよくわからん。

経済力=食える人数だから人口も増えるはずだが極端には増えてない事から
やはり原住民と争いつつまだ発展途上て感じなんかな。

南宋みたいに農業政策重視すれば呉の場合かなり違った結果になってた
気がする。

229 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 18:09:20 ID:/LmsUJQa0
>>227
魏や蜀の皇帝と比べてどうなんて書いてないだろ


230 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 19:45:12 ID:ZFsbskGZ0
頭ワルスw

231 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/05(金) 03:08:06 ID:fpaZpJhZ0
>>228
孫権が曹叡次代に魏と貿易してる記述を見るに、宝石はよく出たようだね。
農業に関しては、この時代ではまだ人口比率以上の効率は技術的に出せないかと。

232 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/05(金) 04:10:29 ID:88wwPkUo0
>>231
でも、その呉が送ってる宝石珍品の類は、江南産というより
南海交易で入手したものの可能性が高いんだよね。

233 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/05(金) 06:47:35 ID:fpaZpJhZ0
>>232
翡翠なんかはまさにそうだろうね。
何と交換したのかが確認できなくてイマイチアレだけれども。

234 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/05(金) 10:54:24 ID:nYAZtGvl0
江南っていうと各種果物が名産な印象がある。
キウイとかも揚子江が原産地だったっけな

235 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/05(金) 18:59:24 ID:EJF2AgOF0
このスレためになるなぁ

236 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/06(土) 00:46:26 ID:JFuVftpA0
江南は前漢の呉王劉ビの頃から経済力あるな
ローマ皇帝安敦(マルクス=アウレリウス=アントニヌス)の使者も江南経由で来たな

237 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/06(土) 01:19:31 ID:CRA/j1Bu0
>>234
キウイフルーツは、長江流域に生えていたシナサルナシの実を、
ニュージーランドへ持って行って品種改良したもの。

日本の山野にもサルナシは生えているけど、
ほぼキウイフルーツを小さくしたような実ができるよ。

238 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/06(土) 01:24:03 ID:CRA/j1Bu0
>>236
海の道も、基本的には絹が目当てで中国に来ていたようだね。
その王安敦は、ローマの使者を騙った商人だったんじゃないかという説もあるけど。
ローマはこの時期、インドの港町に商館を置いたりしていたらしい。

239 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/06(土) 16:22:09 ID:Mq2fqsz00
呉の経済において、絹の生産はどれほどの位置を占めていたんだろうか?

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