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【処刑】最後の皇帝の運命【自殺】

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 20:02:09 ID:KGt/zHWg0
秦→暗殺   西晋→処刑  隋→処刑    北宋→存命   
前漢→存命  東晋→処刑  唐→処刑    南宋→存命   
新→戦死   北魏→処刑  後梁→自殺   金→自殺    
後漢→存命  宋→処刑    後唐→自殺   遼→処刑    
魏→存命   斉→処刑    後晋→存命   元→存命    
呉→存命   梁→処刑    後漢→自殺   明→自殺    
蜀→存命   陳→存命    後周→存命   清→存命


まとめるとやっぱ中世の皇帝は悲惨

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 20:26:57 ID:oP3KYI5b0
魏晋南北朝時代の末代皇帝は軒並み悲惨な最期を遂げている。
まあ半分以上が自滅と言えるが。

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 21:41:32 ID:mN4eBtW60
ローマ帝国皇帝の死因第1位は暗殺&処刑

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 21:49:36 ID:S+p/z/xz0
北宋の欽宗って実は処刑されちゃったって噂もなかったっけ?
あれは何かの野史か?

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 21:59:12 ID:oP3KYI5b0
>>4
田中芳樹の「紅塵」で金に殺されていたな。
まあこれは明らかにフィクションだけど

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 22:00:05 ID:KGt/zHWg0
>>4
宋史には自然死したようにしか書かれてないね。
もし処刑されたんだったら、
後で南宋に送還された韋氏の口から伝わって公になってそうだね

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 22:31:47 ID:g2QgHYyd0
>>1
呉や蜀入れるなら、十六国や十国もキチンと入れるべきだと思うんだ

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 23:50:22 ID:KGt/zHWg0
>>7
調べるの面倒だった(´・ω・`)

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/22(金) 23:57:09 ID:DO8T9hPV0
>>5
田中氏の小説にも出て来たけど、
中国語のサイトでも同じように完顔亮に処刑されたって書いてあるところがあったから、
何かそういう資料があるのかな?と思った。

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 00:01:56 ID:RDCamuuT0
中華皇帝の玉座は血脂にまみれているんですね

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 11:03:13 ID:6W68FWps0
清の最後の皇帝もいろいろ大変だったな。
満州の皇帝に祭り上げられたりしたし。

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/26(火) 21:36:41 ID:6SeD+rUIO
満州国は二度年号変えてるもんだから、どっちで呼んだらいいやら。
まあ溥儀本人は満州国名義の名称は嫌がったろうけど。
そういやこの人、没後廟号も徽号も贈ってもらってないんだよね。当たり前といっちゃそれまでだが。

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/26(火) 22:05:00 ID:kUh6hsY90
中国の歴史上の皇帝の数って正確に数えられるのかな?

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/26(火) 22:35:32 ID:nztw1AQr0
同じ存命でも、後漢や後周と後晋や北宋ではえらい違いだなあ

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/26(火) 23:21:48 ID:QHbJdUeM0
>>13
定義を決めれば数えられるだろ


つか各王朝最後の皇帝が悲惨なのって当たり前のような気が・・・
むしろ王朝交代劇関係なしに殺された皇帝の話の方が面白いと思う。

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 22:44:01 ID:9TiMXWWn0
>>14
でもそれらは結局待遇の差であって、新支配者に生かしてもらった
ことでは同じ
逃亡した元が異質だと思う

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/04(水) 14:15:12 ID:FNa9uJCv0
元朝は半ば中国を植民地経営したような感じだったからね。
漢化しなかったことは崩壊の一因ともなっただろうけど、
漢化していたら完全に滅んでいただろうな。


18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/04(水) 18:17:09 ID:KSmA3/TO0
>>1
あれ?
南宋の皇帝って確か「崖山の戦い」で入水自殺したんじゃなかったっけ?

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/04(水) 19:47:31 ID:CMLju0pG0
>>18
死んだのと生き残ったのと二人いたような
どっちも子供なんだよな、カワイソス

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 00:04:24 ID:MkWSkuab0
>>19
ああ、そうだった。
確か一度元に降伏して、残存勢力が南下していたんだったな。

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 02:29:47 ID:4Ka39WVB0
溥儀が特赦されてある機関に就職されたが、
その世話役の同僚が後年書いたエッセイなかなか面白い。

最初に食堂に行く時、飯盆(飯やオカズを入れる容器)を持って
食堂で立ち往生していた。列を並ぶことも知らないから叱られたとか。

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/08(日) 23:42:54 ID:WhgwOPvY0
清朝の皇帝を退位してから、満州国の皇帝になるまでの間はどんな生活していたんだろう?

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/09(月) 00:06:24 ID:F6a1MUSl0
映画の『ラストエンペラー』とかなんかでは、上海辺りで遊び人みたいな生活してたように記憶している。
正后と側室を連れての連夜の宴・・・、だったような。
事情通の方、教えてください><

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/09(月) 09:11:18 ID:56i+ZtIB0
>>1
清→洗脳
だろ?

25 :貧しい父上:2007/07/09(月) 20:59:40 ID:hde5mf8V0
もし溥儀さん今まだ中国の皇帝であって、それはおもろいな^^
溥儀サンの運命はかわいいそうだね 日本に使われロシアに逃げて最後我の中国に帰ってきて、
毛沢東なんでその辺に皇帝を設立しないの??

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/09(月) 23:25:41 ID:vDJpyU4W0
清朝は異民族王朝なのが弱点だったな・・・・・・

もし明朝が続いていたら、立憲君主制へ移行できる余地はあったかな?

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/10(火) 18:29:55 ID:ToPWrRhM0
清の最大の弱点は外国に負けまくったことだろう。
外に弱くて媚びていて、内に威張る皇室なんか見捨てられるでしょ。
歴代の王朝はせいぜ歳幣を出すぐらいで、国内まで支配されつつあったのは清だけ。
まあ無理もないけど。

28 :名無しんぼ@お腹いっぱい :2007/07/11(水) 15:45:37 ID:Tu/SLLJN0
>>27
いや、清は雍正帝の頃までは外に対しても結構強かったのよ。
特に康熙帝なんか、ロシア相手に対等のネルチンスク条約を
結ぶだけの柔軟性を持ってたから、外国も付け入る隙が無かった。
それが外に対して惰弱になったのは、乾隆帝以降の皇帝達が
中華思想なんぞに汚染されたのが一因だし。


29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/11(水) 17:23:22 ID:mZL+7xzFO
清の衰退の原因は遊牧民の柔軟性を失い、中原の固定観念に染まった所為か…



30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/11(水) 17:34:26 ID:nqRHarhI0
まぁ康熙、雍正、乾隆時代は中華史上屈指の繁栄期だからね。
150年近くも太平が続けば、列強に対抗できなくなるのはしょうがない。
後世のおれらは神の視点で歴史を論じることができるけど
当時の人間に「おまいら平和ボケすんな!危機はそこにある!」
とか言っても「ハァ?」だろう。

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/11(水) 17:38:49 ID:mZL+7xzFO
>>22
少なくとも、満州国時代までは上げ膳下げ膳の
宮廷生活のようなお付きに全てお任せ生活だったらしい。
ンな訳で監獄生活は散々だった、というけど
でも解放後の扱い辺りを思えばどーも監獄内は実際どうだったか怪しいもの。
東京裁判の時の逃げ口上振りからも彼とその周囲の言葉の鵜呑みは難しい。

上海時代は宮廷から持ち出した財産を食い潰しつつ
旧臣たちに煽られながら復辟を狙ってたらしい。
外人らとの付き合いがあったとするならロビー活動の一環に過ぎない。

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/11(水) 21:34:47 ID:j4qJLZvU0
物心ついた時にはもう皇帝だもんな

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/11(水) 22:45:55 ID:Ch0u94aI0
今の日本も60年平和が続いてボケてるしな
もしかしたら未来歴史年表では2010年に日本は侵略されて2012年には日本の完全制圧かもしれない

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/11(水) 22:51:21 ID:9DiMeQyD0
大体、安倍みたいに生活の苦労も知らず、受験の苦労もしらず、就職の苦労もしらず、
のほほんとやってたヤツがいきなり宰相だもん。
そりゃ滅びます罠。
昔の中国だって芸人を宰相にして国をぶっ潰したアホな殿様もいたでしょ、
それと同じ、今の日本ごらんなさい、テレビ出てちーとばかし批評家ぶると直ぐに議員候補でしょ。
こんな国は終わっとります。
だから、中国やロシアは領海侵犯・領空侵犯してくるということ、滅ぶ国だから今のうちに既成事実をつくっておこうというね。
中国なんざ露骨でしょw

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/11(水) 23:36:13 ID:LIxUAbxhO
また神の視点だな
基本的に王国が維持できなくなる理由は初期の国家構想にも一要因がある
その時その場が悪いというのは暴論
つかそんな話したらどんな国でもその内滅ぶって答えになるわな

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/12(木) 10:20:17 ID:X/LmTa7wO
まあ形あるモノはいつかは変容、消滅するのは世の習いだからな。
そんな時に永続させようとしたら、「中興」という名のマイナーチェンジがある訳だが。

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/12(木) 23:58:19 ID:i0yyEVwg0
今の日本は北宋末期か

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/13(金) 20:33:18 ID:xWi+Xqfa0
>>37
俺もつくづくそう思う

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/20(金) 10:15:59 ID:yFA5A2f10
「皇帝に生まれたくなかった」か
「次に生まれ変わるときは皇帝以外になりたい」ってことを言って
殺された皇帝って、誰だっけ?
五胡十六国時代の人だったよーな気がするが。
皇帝でも最後はそう思うんだなあ、と、思った記憶がある。

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/20(金) 10:59:57 ID:4gQez1fg0
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%86%E5%B8%9D_%28%E5%8D%97%E6%9C%9D%E5%AE%8B%29

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/21(土) 11:50:27 ID:ej8LF5OO0
>>40
ありがとう。この人だ。

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/24(火) 19:20:49 ID:/HsPod9p0
>>39
明の最後の皇帝は自分の娘に対して「なぜ皇帝の子として生まれたのか、嗚呼」と言いながら自ら斬ったが、、、

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/14(火) 12:49:58 ID:baelLwuu0
北宋の欽宗だってあんな状況で即位するのは嫌だっただろう。
ほとんど父親の尻拭いさせられる格好だったし。

金の最後の皇帝もあれだけど。

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/14(火) 13:02:36 ID:R+2Z557Y0
>>40
順帝(じゅんてい、467年 - 479年、在位477年 - 479年)
ってことは、死んだときが、12歳か・・・嗚呼

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/16(木) 23:51:13 ID:DKmkT5Pa0
>>43
>金の最後の皇帝もあれだけど。

むちゃくちゃいい加減な手続きで即位と言うか皇帝位を押しつけられ、
即位から半日後にモンゴル軍に捕らえられて殺される。

中国の皇帝の最短在位期間と言われているねw

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 23:45:30 ID:xwpLA6BG0
>>45
半日じゃ皇帝としての楽しみを味わう間なんて一切なかっただろうなw


47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/14(金) 00:26:27 ID:uNlD+U7A0
亡国の皇帝って、一つか二つ前の皇帝の失政の責任を負わされてしまう場合が多い。
だから可哀想な奴が多いんだよな。

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/14(金) 21:41:02 ID:lCIWEHgM0
煬帝は自分1代で滅びたようなもんだけど
譲位はしてないよな


49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/14(金) 22:12:57 ID:H6vtrAfw0
ごめんスレチな上に初歩的なことが聞きたい。
煬帝ってなんでよう「だい」って読むの?一発変換できるし。

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/14(金) 22:55:59 ID:MP7yDM+/0
煬帝の本来の諡は明帝で、煬帝は唐による追諡。
唐も、直接隋を滅ぼしたわけではないにせよ、隋に対して反乱を起こして成立した政権なわけで、
前政権である隋の煬帝の治世を貶める必要があって、煬帝という追諡をした。

読みについてははっきりとしたことは知らないけど、日本ではようだいの読み方が慣習化している。
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=716173
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php?queId=99229



51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 10:29:13 ID:Ss6VqTJv0
あまりに残虐な暴君だったので他の皇帝との差異をつけるためにあえて「だい」と読む
と聞いたことがある
本当かどうか知らないし煬帝異常にダメな皇帝もいるが

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 10:37:53 ID:E8lckX230
当の中国でも差別化してるんか?

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 22:06:16 ID:ySpVV4RA0
>>9
また引きみたいなもんで申し訳ないが、
「金史」において、世宗がクーデタ起こして帝位を奪った際、
先代の海陵王を貶めるために発表した「海陵王の罪」の中に、
遼の天祚帝と宋の欽宗の死に関して責任がある、としていたらしい。

責任があるという抽象的表現を、海陵王が処刑したと拡大解釈した人がいるんじゃないだろうか。
欽宗の死期にはともかく、天祚帝が死去したのは海陵王がまだほんの子供の頃だった。
いくら皇族の子とはいえ、一王朝の当主だった者の死に子供が関与したとは考えられない。
これら敵国最終皇帝の死に責任がある説は、完全に言い掛かりだと思う。

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/05(金) 12:52:09 ID:tWgi5MD80
はげ

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/05(金) 13:27:38 ID:Vt36R9150
>>53
なるほろ。

それにしても、金って、初期の皇族間の抗争が相当に激しいね。


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