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 【海賊?】 倭寇 【貿易商?】

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/27(水) 13:12:09 ID:0vq06EOI0
その正体についていろいろと不明な点も多い倭寇について語りましょう。

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/27(水) 14:07:32 ID:VgP4iqZ70
いろんなものがひっくるめられているからね。

倭寇
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E5%AF%87

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/27(水) 23:44:31 ID:B+R3jKUe0
前期に高麗を荒らし回っていた連中と、
後期に明の沿岸で活動していた連中は、
成分がかなり違っているだろう。

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/27(水) 23:58:47 ID:LfDeucm30
王直の直は正直の直

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/28(木) 11:40:44 ID:KSFIgU820
明朝、特に嘉靖年間の倭寇はかなり有名だけど、
もっと前の前期、元朝の頃の倭寇ってのは実際どんな感じだったんだろう?

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/28(木) 18:40:43 ID:5Ltc1Xuy0
元朝の頃と言うと南北朝時代か。
多分、九州の悪党と商人が結託してただろう。

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/28(木) 23:55:52 ID:yUsqo25Z0
朝鮮半島の方へは、どうも西国大名がちょっと関与して、
兵を出してたっぽいしね。

いろんな連中がごっちゃになっていたと思うよ、倭寇って。

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/29(金) 11:22:10 ID:P3VNapWT0
高麗内部の勢力が引き入れたんだと思うよ。
元朝末期頃の高麗ってぐだぐだだったみたいだし。

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/07(土) 23:24:02 ID:WbfxHZ9m0
西日本の大名の中には、倭寇の元締め的な立場にあった者もいたかもね。

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/08(日) 23:35:23 ID:WhgwOPvY0
大内、少弐、宗、松浦、島津

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/09(月) 07:42:50 ID:9Euc/kpT0
嘉靖年間の倭寇騒動に、日本人は何人参加していたか?

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/15(日) 23:32:56 ID:HMpGfbo00
↓明側からしたら、倭寇の巨大バージョンって感じだったのかな

【日明戦争】文禄・慶長の役【万暦役】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1182128954/

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/16(月) 01:54:47 ID:DEr/WGH70
秀吉自体が大倭寇になった感じじゃない?

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/14(火) 12:52:01 ID:baelLwuu0
豊臣秀吉は実は中国人だという伝説が明にあったよね。

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/15(水) 00:51:33 ID:GtRVHSHrO
ネラーが、何でもひっくるめて在日判定してるみたいに
何でもかんでも和冦って判定してたんだろな。

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/15(水) 10:49:30 ID:3p1HrUPL0
倭寇をやる側だって、「アイアムザパニーズ」ってやっていたんだろう。
凶暴な倭人と名乗れば、それなりに威嚇効果もあっただろうし。

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/17(金) 01:38:38 ID:e0/CaQ/p0
実際、ちょんまげを真似ていたそうだからね。
明の官の側だって、日本人ということにしておけば、
いろいろと処理しやすかっただろうし。

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/18(土) 23:58:43 ID:ZKzpjcnG0
少林寺の坊さんが倭寇退治をしたって伝説があるよね。

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/19(日) 10:24:59 ID:5YZjLQHH0
8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 09:52:12 ID:x/hU9IuZ0
少林寺守護神・緊那羅王
 『少林寺志』によると、緊那羅は元末明初の少林寺に実在した僧で、俗名を許那羅という。
 普段は寺の炊事僧として働いており、誰の話題に上る事もないような目立たぬ存在だった。しかし元朝末期に起こった農民蜂
起軍である紅巾軍が、大挙して少林寺に攻め入り寺の財物を略奪しようとした時に、寺の衆僧で誰も敵う者がいないのを聞くと
棍を手にして飛び出し、見事これを撃退した。
 後世、観音菩薩の化身・緊那羅王として神化され、現在でも当地の武術家によって「少林武術の守護神」もしくは「山門顕武
第一人」として奉られている。

月空和尚、倭寇を撃退す
 西暦1551年(明嘉靖30年)、月空和尚を首領とする少林僧兵100余人は、中国南方沿岸部に出没しては猛威を振るってい
た倭寇を撃退するために出撃し、数度の戦闘で倭寇に壊滅的な打撃を与えた。しかし度重なる激戦で、月空をはじめとする僧兵
らも最後には全員戦死、寺に帰ることはなかった。少林寺の西にある搭林(歴代高僧の墓碑)には、月空和尚のための搭が今で
も残っている。

20 :名無的発言者:2007/08/19(日) 19:35:20 ID:TX0FDKUF0

16世紀の倭寇の特色は、構成員の大部分が中国人で占められていたことである
。真倭といわれた日本人は10〜20%、偽倭、仮倭、装倭とよばれた中国人が
主力であった。

ネタ元 逆説の日本史9 鉄砲伝来と倭寇の謎 P83

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/21(火) 15:31:47 ID:4E5/jtYq0
嘉靖年間の倭寇騒動って、住民が城の外へ避難して、
空き城を倭寇が荒らし回ったって感じだったのかな?



22 :名無的発言者:2007/08/27(月) 20:42:53 ID:NlSZcsmL0

16世紀の倭寇の大部分は中国人だった。ではなぜそうなったのかと言うと
当時の中国を支配していた明王朝が【海禁】つまり海外貿易禁止令を出した

からだ。これにより貿易業者は自動的に犯罪者にされてしまった。これは福
建省や広東省のような農業生産額が低く貿易しなければ食べていけない省に

とっては死活問題だった。彼らはやむなく官憲の目を逃れて密貿易をするか
武装して官憲に抵抗した。これが後期倭寇の正体である。ちなみに中国の歴

史家の中には『倭寇は全て日本人だ。中国人はいない』と主張するものもい
るが彼らの中で【海禁】のあと中国の貿易業者がどうしたのか説明出来るも

のはいない。

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/27(月) 22:29:02 ID:m6oL+4+k0
沿岸部の官憲は結構倭寇とも馴れ合っていたと思うな。

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/28(火) 10:58:39 ID:8T3PfqpW0
“海禁”与“倭寇”(1)
http://book.sina.com.cn/nzt/his/guoshishiliujiang/39.shtml

“海禁”与“倭寇”(2)
http://book.sina.com.cn/nzt/his/guoshishiliujiang/40.shtml

25 :名無的発言者:2007/08/30(木) 19:33:39 ID:YmOEU8dX0
>>24

・・・・全部中国語・・・・要点だけでも和訳してくんない

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/30(木) 21:23:13 ID:3SaLxjLP0
(1)
経済のグローバル化とともに、海禁政策は時代に合わなくなってきた。
もともと朝貢貿易やってたんだけど、寧波事件で日本との貿易が制限された。
日本との貿易は儲かるので、沿海の人は勝手に商売をはじめた。
官が取り締まろうとすると、武装して対抗した。で、倭患と呼ばれた。

(2)
そもそも倭寇というのは、辞書では日本の海賊って書かれてるけど、日本人は少なかった。
ほとんど中国の商人とかだった。じゃあなんで倭寇と言われてるかというと、
確かに少数ながら日本人がいたし、倭寇側も嘘の情報流して取締りを混乱させようとしていたし、
取り締まる側でも日本人だとしたほうが功績になるから、そう報告していた。
王直は海禁解除を要求してたんだけど、首斬られちった。王直死後、倭寇はますますひどくなった。
それから、倭寇はみんな中国沿海の人だとか、海禁の弊害とかが言われるようになった。
政策が転換されてから、倭寇はいなくなり、海上貿易は新たな段階に入った。



よくわからん。あとは中国語わかる人よろしく。

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/30(木) 23:30:51 ID:QAxxoqJG0
そもそも東シナ海の海上を生活の場として、
日本と中国沿岸、東南アジアなんかを往来していた人たちの中には、
日本人とも中国人とも呼べないような人たちだっていただろうしなあ。

28 :名無的発言者:2007/09/01(土) 22:11:20 ID:22yOEMiG0
>>26
ありがとうございます。反日でもなければ親日でもない客観的な記述だと言うことは分かりました。

>>27

そうですね。むかしは国籍なんてなかったしそもそも一般庶民は自分の国の名前も
民族の名前も知りませんでした。18世紀、日本からシベリアに漂流した日本人が

『お前はどこの国から来た』と聞かれ『オレは江戸から来た』と答えたそうです。
彼は自分の住んでいる国が日本と言う名前なのを知らなかったんですね。

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 22:46:43 ID:nRxV66/60
九州あたりの倭寇活動に参加している人たちにとっては、
上方の京都人なんかよりは、
江南沿岸の中国人の方が親近感があったかも知れないね。

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 22:47:37 ID:nRxV66/60
つまりは無国籍地帯だったとも言えるわけか。

31 :名無的発言者:2007/09/02(日) 11:24:58 ID:q2JtQBQg0

それから当時は海賊と商船と軍船のあいだに区別はほとんど無かった。
海上には警察も裁判所もないから海は無法地帯でありそこに出る船は自衛のため

武装していた。そうした武装商船は商売が上手くいかなければ即海賊になった。
そして領主の要請があればいくさにも出た。この点当時の武士と似ていた。

当時の武士は平和な時は農場経営をし、いくさの時は戦い、さらにいくさでは
略奪暴行は当たり前だった。そしてこの略奪品が大事な収入源だった。当時の

屏風絵には逃亡する敵方の女性を捕らえる為わざわざ川べりに小船を待機させ
ておく大名が描かれている。

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 15:59:07 ID:ToOeICBS0
日本国内の海賊、例えば村上水軍ような連中だって、
通行料を払った船には、航路の案内や護衛をつけるようなサービスをしたけど、
通行料を払わない船は、容赦なく襲っていたようだしね。

33 :名無的発言者:2007/09/03(月) 21:08:19 ID:ol84ofhR0
イギリスの海軍も元をたどれば海賊だそうだ。

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/03(月) 21:47:53 ID:Pwy1vvHN0
日本には琵琶湖に湖賊なんてのもいたけど、
中国の長江とか太湖あたりで活動していた連中は、
どれぐらいの勢力があったんだろうか?

35 :名無的発言者:2007/09/04(火) 20:23:51 ID:D2ABrZhA0

正確な規模は解からないがかなり大きかったようだ。分かっているのは彼らは必
ずしも民衆から嫌われていなかったと言うことだ。なぜ民衆から嫌われないのか

と言うと中国の税制を見ていかなければならない。そもそも中国と言うのは基本
的に大陸国家であり広大な領土の割には海岸線が少ない。よって塩が取れるとこ

ろは限られてくる。この限られた製塩地を押さえ塩を官営にし高値で売れば莫大
な利益が上がる。そして人間は塩が無ければ生きていけないからどんな高値でも

買う。それでも原価の2,3倍程度なら民衆も我慢して買うだろう。しかし役人
の腐敗では世界的に有名な中国官僚の経営、値段は5倍10倍にも跳ね上がり、

さらに塩に砂や泥を混ぜて水増しするのも日常茶判事そこで官に抵抗する湖賊、
官の呼称では塩賊が登場する。彼らは官の半額程度の値段で良質な塩を売った。

官の半額でも原価の4,5倍だから利益は莫大だ。こうして湖賊ないしは塩賊は
大勢力を誇った。

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/04(火) 23:31:36 ID:mys9i4cT0
中国の社会は昔から、幇会組織が重要な位置を占めていたからね。
官がほとんど悪に近い存在なので、庶民の視点から見れば、
ヤクザ的な幇会組織も必ずしも悪とは限らない。

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 10:51:54 ID:Nx5zhgSz0
>>35
腐敗の経営で5倍に跳ね上がったとは少々言いすぎ。
そりゃ塩の専売で私腹を満たした官僚いくらでも居るだろうが、
やはり塩専売は暦朝歴代の貴重な財源で、多くは政府に吸い取られた。
例えば今日本の煙草税を見てみろ、7割以上が税だといわれている。
ああいうものから税をたくさんとるものだ、政府は。


38 :名無的発言者:2007/09/07(金) 21:12:59 ID:s7ajO2eF0

まあ塩税そのものは当時としては良税だった。『どこが良税だ。金持ちも貧乏人
も同じだけ税を取るなんて』と言われるかもしれないが、そもそも近代以前は身

分の高い者は税金を払わなかった。それも税金をごまかして払わなかったのでは
なく合法的に税金を払わなくてもいい特権を持っていた。ところが塩税は王侯貴

族だろうと百姓町人だろうと関係なく塩を買う度に払うことになる。あくまでも
当時としてはだが良い税制だったんだ。

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/11(火) 23:43:15 ID:q9Sdwdtw0
高句麗の広開土王碑に、倭が新羅とかに攻めて来たって記述があるけど、
古代にも倭寇に類するような勢力の活動があったのかな?


40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/21(金) 20:54:11 ID:aXxA91cY0
半島南部に、日本の勢力が、統治まで至らなくても、
それなりの強い影響力を持っていたことは、多分確実。

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 12:52:59 ID:hlfAe/gw0
鉄の産地があったらしいね。

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